10年前に広島市を訪れたベルトラン=ドラノエParis市長(当時)は2004年11月4日に「広島平和記念資料館」に次のようなメッセージを綴った。
広島の苦悩は我々の苦悩。
広島の歴史は我々の歴史、
人類の歴史。
命のための、
ここに希望の力あり。
敬意と愛情をもって
皆ともに
命を守らねばならぬという、まさにその思想。
ドノラエ市長は秋葉忠利・広島市長(当時)と会談し、翌年、パリ市庁舎にて「Hiroshima原爆展」を催すことを約束し、帰国の途へとついた。
そして、2005年9月に一ヶ月にわたってパリ市庁舎にて「Hiroshima原爆展」が開催された。
秋葉市長と共にParisを訪れた広島の子ども達にあうなり、ドラノエさんは
「広島で会いましたね」
と気さくに話しかけ、被爆者を含む広島からのゲストを歓迎した。
「広島の苦悩」を生涯を通して表現され、2012年に亡くなられた新藤兼人監督を偲び、その「苦悩」を次世代へと継ごうとする「第三回 新藤兼人平和映画祭」が2014年8月6日に都内・新文芸坐(池袋)にて催された。はじめて原爆の悲惨さを日本映画で描いた新藤監督「原爆の子」(1952年)と、石田優子監督のドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」(2011年)が上映された後、歌手の加藤登紀子さん、映画監督で作家の森達也さん、共同通信編集委員・立花珠樹さんらが登壇し、それぞれの思いを語った。
同イベントは広島出身の会社員・御手洗志帆さん(26)が手弁当で始めたもので、今年で三年目になる。
会当日は平日だというのに朝から満席で、会場に来たものの、席がなく帰られた方も多々見られた。
パネリスト・参加者・主催者が「広島の苦悩」に思いを致していた。
「ここに、希望の力あり」と思わせるような貴く静謐な時間であった。
●動画インデックス●
主催者の御手洗志帆さんが挨拶(0:20-)
加藤登紀子さんがスピーチ (10:25-)
森達也さんがスピーチ(45:00-)
立花珠樹さんがスピーチ(47:12-)
鈴木邦男さんがスピーチ(52:10-)
PANTAさんがスピーチ(53:33-)
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