組閣人事の進行中から飛び出たのが「在庫一掃内閣」と言う揶揄だった。それも野党からではない。名前こそ出さないものの自民党のベテラン議員が、安倍首相本人の思い込みで「宿敵」に勝手にされてしまっている朝日新聞の記者にそう漏らしたのだ。
この報道を受けた共産党の小池晃書記長の論評も痛烈だった。「在庫一掃、なんて失礼なことは申しません。閉店セール内閣」。そもそも野党が酷評するのは当然とはいえ、他党から出て来たのも「滞貨一掃」「ワクワクしないかく」「『女性活躍社会』のはずなのに女性が1人しかいないかく」と言った、「批判」というより軽蔑しきった揶揄ばかりだ。
「在庫処分・滞貨一層」の意味するところは要するに、当選回数を5回、6回と重ねてそろそろ大臣にしてやらなければならないが、箸にも棒にもかからないと各派閥が考えていた議員達がいて、それを出来る限り引き受けた結果が初入閣12人となり、それも色々とお騒がせ女の片山さつき氏以外はまったく国民にも馴染みがない、と言うかその発言や能力が注目されたことなぞまるでない面々ばかりが揃っていることだ。
スネに傷のオトモダチとポンコツしかい「ないかく」
一方では「見飽きた顔と見慣れない顔しかいない」とも言われてしまっているわけで、麻生副総理兼財相、河野外相、茂木経済改革担当相、公明党からの石井国交大臣、そして菅官房長官の主要閣僚(安倍語では「政権の屋台骨」)が留任し、労働法制の改正に当たって改ざんデータを出して責任を問われた加藤前厚労大臣や、南スーダン派遣部隊の日報隠蔽問題など数々のスキャンダルで防衛大臣辞任に追い込まれた稲田朋美、どう考えてもあっせん利得と言うか要は収賄で刑事罰に問われておかしくない疑惑から「睡眠障害」で逃げて辞任した甘利明元経済担当相、加計学園からの迂回献金が問われた下村博文元文相らまで、党幹部で復権している。
野党の酷評もまだまだ甘く、呆れた揶揄ごときで済ますべきではないのかも知れない。前代未聞の公文書改ざんに次官のセクハラ問題など数々の監督責任もなぜか問われていない麻生や、名前入りの線香や衆議院手帳を地元有権者に配っていた茂木も含めてスネに傷をもつオトモダチと、議員経験は長いがその間たいした実績もなく能力が疑わしいポンコツしかいない、と言われてもしょうがない。
さすがにスキャンダルには無縁な河野太郎にしても、オルブライト元米国務長官の愛弟子だった国際派のはずが外交成果がまったくないどころか、トランプ=金正恩の直接交渉の動きをまったく読めないままに経済援助をチラつかせて発展途上国に北朝鮮との断交を迫ってひんしゅくを買ったような失態ばかり積み重ねて来ている。石井大臣も西日本水害の被害対応指揮に当たるべき責任者がカジノ法の強行採決のため国会に張り付いたままだったので激しい批判を浴びた。茂木大臣も麻生副総理に代わってトランプ政権との経済・貿易交渉に当たっているが、そのライトハイザー通商代表との交渉も苦戦一方だ(というか、国内世論を騙すことばかり気にした無策で困った結果になってしまったことは後述する)。
唯一の例外で、一応は「適材適所」と言えなくもないのが、法務省の政務官だった検察官出身の山下貴司氏が法務大臣に抜擢されたことだ。これまで数々の議員立法作成の中心メンバー(計8本に関わりいずれも成立)で専門知識も能力もあるのだろうが、ただしこの人事はむしろ、石破派からはまだ当選3回の山下氏をあえて抜擢して「在庫」である5回、6回当選組は無視すると言う、総裁選で安倍政権に叛旗を翻した石破茂への屈折した意趣返しというか、その「善戦」と言う党内評価に無視・冷遇もできなくなってしまっているのでせめてもの意地悪、と言った意図が透けて見えてしまう。
なぜ最初からレームダックと分かってしまうような新内閣になってしまったのか? 総裁選が始まるまでは、少なくとも党内については盤石の「安倍一強」と言われ、自ら党規約を改訂させたからには三選は当然で、戦前の桂太郎(明治34年から大正2年・2886日)を抜く憲政史上最長の在任期間も確実視されていたはずだった。それが9月20日の総裁選で勝利してもすぐに組閣に取り掛かることもできずに内閣改造が10日以上ずれ込んだ10月2日、臨時国会もこの夏に次々と起こった大災害に対応する予算措置のために早々に招集すべきが10月29日となり、さすがに野党の圧力に押されて2日前倒しで10月27日と決まった。
だがその国会開会を待つ間にも、すでに「在庫一掃」新入閣組の答弁能力の低さや失言リスクが組閣直後からおおっぴらかつ異口同音に論評されている。これまで官邸の圧力でよほどのことがない限り政権批判に遠慮がちだった大手メディアにも支えられてきた「安倍一強」の空気すら、少しずつとはいえ変化し始めているのだろうか?
臨時国会を乗り切れるのかどうかも怪しい改造内閣最大のリスクは首相自身
しかも現に臨時国会の開会すら待たずに、柴山文科大臣が就任後の最初の定例会見でいきなり「教育勅語を現代風にアレンジすれば道徳教育に使える」と言い出して、さっそく国会で激しい追及に晒されるネタを提供してしまった。オリンピックの警備に関わるサイバーセキュリティ基本法改正案はこれまで鈴木俊一五輪担当相が所轄していたのが、新任の桜田義孝の答弁能力を官邸が不安視し、担当大臣の変更が検討されていることまでリーク報道されている。
とはいえ安倍が国会をなかなか開けない最大の理由、安倍政権がもはや臨時国会を乗り切れるかどうかすら危ぶまれている最大のリスクは、こうした新任大臣たちを巡る不安ではない。他ならぬ安倍首相本人が、国会が始まれば森友・加計スキャンダルでまたもや野党に責め立てられるのは確実だし、得意のフリをして来た外交では、日本側はTAGつまり一部の物品だけと言っているのがアメリカはFTA(二国間包括的自由経済合意)交渉だと言っている、先の日米首脳会談の合意を巡っても審議が紛糾するだろう。ちなみにこれは、正式の合意文書となる英語版を読めばアメリカ側が一方的に正しく、つまり首脳会談後に安倍が発表していた「成果」は恣意的な誤訳、つまりはまったくの嘘だった。
口先だけは「金正恩委員長と向き合う」と言っている対北朝鮮外交と拉致問題もまったくの無策でなにも動けないまま、不調に終わった日朝秘密接触までなんとホワイトハウスに暴露リークされてしまっている。自分が解決の糸口をつけると言って来た対ロシアの北方領土問題の交渉も総裁選の最中の訪ロ時に、プーチン大統領の爆弾提案で身動きが取れなくなってしまってもいるのが安倍だ。
先の国会会期中に起きた西日本水害については、気象庁が異例の危険性を発表し、現に大豪雨が発生しているときに、首相を中心に自民党議員が「赤坂自民亭」なる飲み会をやっていた問題も、当然国会で問われるだろう。しかもその追及が怖くて臨時国会を延々と先延ばしにして来た結果、本来なら速やかに補正予算の審議に入っていなければならないはずの、この夏に相次いだ大規模災害のための予算措置も先送りのままになっていて、今度はこの不作為までも国会で野党にとって格好の攻撃材料になってしまったのが現状だ。
統一地方選も参院選も「安倍で勝つ」気は失った自民党?
逆に言えば、「安倍一強・長期政権」ムードが先行して演出された総裁選の時点ですでに、三選したとたんに困難な国会運営に追い詰められることは十二分に予測出来ていたはずだ。なのに早々に安倍支持を決めていたはずの各派閥は、この難しい国会を切り抜けて安倍首相が権力基盤を維持できるような「党内一丸となって」ではおよそない派閥推薦名簿を押し付けて、このチャンスにこれまで箸にも棒にも引っかからなかったような「在庫」をこの際一掃することしか考えていないようなのだ。
これはいったいどうしたことなのだろう? 来年には統一地方選挙と参院選が控えているのだが、自民党は安倍総理総裁で選挙戦を闘う気を失っているのだろうか?
その安倍の側でも、柴山・桜田・片山の三氏のような自分の極右カルトに共鳴したりおべんちゃらを使ってくれる人間が「滞貨一掃」に含まれていることにせめて満足するしかないまま、言われるがままに組閣早々に揶揄されるような「ポンコツ」人事に甘んじているのだ。口先だけは「全員野球内閣」と空威張りはしてみたものの、今後の政局の運営に不安がないわけもなかろう。
もちろん安倍はこの臨時国会では悲願の「改憲」に着手するとも言っているので、そのための党内の結束を図って各派閥に配慮を欠かさなかった、という見方も出来なくはないが、その改憲案もまだおよそ国会に出せるような状態ではない上に、党内で改憲本部長になったのはこれまで憲法問題にほとんど知見も経験もなく、しかも加計学園からの迂回献金疑惑も抱え、森友学園スキャンダルにも関与が疑われている下村博文なのだ。
最大の売り物のはずの「改憲」論議でこそ予め分かっていた安倍完敗
そもそも安倍首相の目指す「改憲」に重大な欠陥があると総裁選での議論で明らかになってしまったことも、安倍側の大失点だった。元々、討論になれば安倍は石破茂にまったく歯が立たないと党内でも本音では思われている。政策論でも改憲を巡る議論でも一定の正確な知識に基づき理路整然と論じられる石破氏に対して、安倍晋三の方は改憲問題ならその「9条改憲」にしても、「違憲と言われ続けるのでは自衛官がかわいそう」以上の論拠がないのだからしょうがない。
そんなチープな感情論だって、まだそれだけ聞いていればなんとなく説得力は持ったかも知れない。だが総裁選の討論の議題になる、つまり双方の主張を戦わせることになればそうはいかない。だからこそ安倍陣営は、両候補が揃う討論の場を最低限に限定することを画策したが、これが却って裏目に出てしまったのだ。時間が足りないと逆にそれぞれの見解が要約されてしまい、こと石破にとっては短い時間の中で要点のみを淡々と指摘してしまうだけで効果的になる状況が出来上がってしまっていた。
自衛隊の立場は確かに現行憲法ではかなり曖昧なままにならざるを得ないが、安倍の提案するようにただ9条に自衛隊を書き加えるだけでは、今度は憲法そのものが曖昧になり、自衛隊の立場と権限の曖昧さがむしろ増し、自己矛盾して子供でも分かる論理破綻さえしてしまうだろう。端的に言えば9条2項がそのままでは、いかに自衛隊を書き込もうが、それは「戦力ではない」、しかも「交戦権を持たない」ままの軍事組織にしかなり得ないのだ。
討論の時間が長ければ、石破側は「戦力」や「交戦権」の国際法上の定義についての複雑で、前提知識のない一般人にはただ難しい理屈にしか聞こえないであろう議論にも踏み込んでしまい、かえって印象を悪くしたかも知れない。だがなにしろ時間が限られているので、石破は「戦力ではない軍事力とはどういうことか」という、聞くだけで誰にでも理解できる安倍改憲案の矛盾に論点を絞り込んでいた。
これでは安倍には勝ち目はまったくなくなる。自民党のそもそもの改憲草案では、交戦権の否定と戦力不保持を規定した9条2項が削除されることでこの論理矛盾は解消されている。だがこれでは逆に、憲法の戦争放棄の理念が完全になくなってしまい、その意味ではこと地方の旧来の自民党支持層(つまり今回の総裁選での「地方票」)のかなりの部分から危機感や反発を買うものにもなっていた。
自民党憲法草案のこの部分は石破氏が深く関わったと言われ、事実上の「石破改憲論」ともみなされて来た。だからこそ安倍側の対抗戦略は、だから「石破改憲論」は危険すぎて、一方で安倍改憲論は自衛隊を「違憲だ」と憲法学者に言わせなくする以外には何も変わらないので安全だ、と主張することだったはずだし、現にこれまで国会などでもそう主張して来ている。
だが肝心の総裁選では、安倍がこの「自分の改憲論の方が安全だ」主張はほとんど展開できず、逆に憲法学者に「違憲だ」と言わせなくするためだけの改憲という発想がいかに拙速で幼稚な感情論に過ぎないのかを石破氏に徹底して突かれてしまう結果になったのも、討論が深まるような時間がなかったことが大きい。逆に石破がいわゆる「石破改憲論」は封印して、安倍改憲の拙速さというプロセスの問題を突いたこともとても効果的に響いた。なにからなにまで、石破の言っていることは論理的に筋が通っている一方で、安倍には稚拙な感情論しかないのだから困ってしまう。結果としてもっとも主張したかったはずの改憲論議で、安倍は石破に対して完全に守勢に立たされ、しかも守りきれるだけの理論武装がそもそもない、という致命的な欠陥まで明らかにされてしまった。なにしろ繰り返しになるが、安倍改憲論には「『違憲だ』と言われては自衛官がかわいそう」という感情論、その実自分の安保法制を「違憲だ」と断じた憲法学界への私怨しか動機がなかったのだからしょうがない。
また一方で、本当は自衛隊を「国防軍」にしたい(その法的な意味を深く考えることもないまま)のが安倍とその支持層の本音であることから、安倍自身にも「石破改憲論」の危険性を訴えるのには躊躇があったのかも知れない。「普通の国」論と称して自衛隊を「普通の軍隊」にすることこそ、本来なら保守改憲派の悲願だったのではないか?
逆に石破側では、改憲するのなら9条に関しては慌てる必要はなく(安倍自身が「自衛隊の地位や権限は何も変わらない」つまり改憲の差し迫った必要はない、と認めてしまっている)、現時点ならもっと優先されるべきものがある、という抽象的な主張に(討論の時間があまりないので)留めたまま、それが具体的には例えば緊急事態条項や、国会の定数に関わる話であったことはほとんど口にせずに済んでしまった。この二つだって実のところ、激しい賛否両論の議論を自民党とその支持層の中だけでも巻き起こす、相当にリスキーな主張ではあり、石破側のアキレス腱になりかねないものだったのだ。
もっとも石破が緊急事態条項に関して考えているのは事実上の国会の権限停止で内閣の独裁を許すようなものではなく、災害時の予算措置を速やかにするための地方行政機関も含めた権限の移譲・分散が主な目的のようだし、今回の総裁選では度重なる巨大災害を念頭に「防災省」の設置を公約した。ちなみに安倍はこのとても説得力のある石破公約を中途半端に横取りして、今回の組閣では「防災担当大臣」を任命している。相手候補の公約中途半端に模倣して争点をうやむやにするのは、これまでも安倍の選挙で繰り返されて来た手法だ。
「圧勝」狙いの強権的やり過ぎの結果が安倍の運の尽き
今回の内閣改造で安倍の政権基盤の弱体化が露呈した(派閥の推薦名簿をそのまま鵜呑みにせざるを得なくなった)背景には、総裁選での石破の「善戦」があるというのが衆目の一致するところだろう。
よく考えるとおかしな話ではある。安倍・石破両氏が総裁選で激突したのはこの6年前で、議員票でも党員票(地方票)でも石破の得票は今回よりずっと多く、地方票では石破が勝っていたはずだ。今回は地方票の過半数を確保できていない。それでも石破が「善戦した」と開票直後から、それも自民党内で言われたのはなぜなのだろう?
ひとつには、事前の安倍圧勝予測あまりに強過ぎたこと、しかもその予測の根拠として圧勝目的の安倍陣営の強権的な動きが過激すぎたことがある。早々に党内の各派閥の支持を取り付け、当初は石破支持とも目された竹下派が分裂選挙に追い込まれたほどだったし、地方票でも70%を確保したという楽勝予測すら安倍選対から出ていたのだ。ところが実際には、地方票は辛うじて55%しか押さえられなかっただけでなく、議員票でも「造反者」、つまり安倍陣営なのに石破に投票した者がいたことが「カツカレー事件」(安倍選対が振る舞ったカレーの数を得票数が下回った)としておもしろおかしく噂される始末である。
だが石破「善戦」という印象となったのには、もっと深刻な理由がある。議論だけ見れば石破が圧勝だったどころか、安倍が自分でもどうしようもない失言を連発してしまったのだ。
本格的な議論になれば安倍は石破にかなわないことから極論討論の回数を減らした(北海道の大地震を言い訳に初期の討論はキャンセルされたし、選挙期間中に安倍はロシア外遊もしている)にも関わらず、先述の憲法議論に限らず、である。とりわけ最後の討論となったテレビ朝日系「報道ステーション」とTBS系「ニュース23」での安倍はひどかった。
自業自得でバレてしまった「安倍一強」という魔法の正体
両番組とも森友・加計スキャンダルについての直接の質問は避けるほど安倍に遠慮した内容ではあった(もちろん「公平な報道」を要請する圧力が自民党から各メディアにかけられていたのは、もはや毎度のこと)が、それでも「ニュース23」では直接に加計問題ではなくとも、加計学園理事長と安倍首相がひんぱんに会食やゴルフを繰り返して来たこと、つまり権限を持つ者と利害関係者との接触の是非が議題になった。
質問自体ははぐらかしつつ、疑念を招いたことは反省しているが、昔からの友人なのだからあくまで誤解で問題はないとする安倍氏に対し、石破は「たとえメガバンクの頭取が学生時代からの友人であっても、金融を担当する大臣が任期中はそうした接触を避けるのは当然」と述べた。ところが安倍はなんと反論のつもりで、昔からの友人なのだから加計孝太郎氏とのゴルフや会食はあくまで私的なもので仕事の話はしていない、と繰り返してしまった。
まったく話が噛み合っていない。司会の星浩キャスターが呆れてたしなめるように、そういう話ではなく旧友であっても権限と利害関係が直接からむ相手とはゴルフなどはするべきではない、と石破氏は言ったのだと再説明すると、安倍氏はいきなり「ゴルフは差別されている」と言わんばかりに「ゴルフはオリンピックの競技にもなっているんだからそんな偏見はよくない」「ゴルフなら駄目でテニスや将棋ならいいのか」などと興奮して言い出してしまったのだ。
このあまりにものみっともないヒステリックな失態こそが安倍陣営にとって致命的だったことは想像に難くない。翌日には「選挙戦があと三日長かったら石破は勝てただろう」(北海道南東部の大地震で選挙戦自粛となったのと同じ日数)という声まで党内から出て来た上での投票となり、先述のような結果となったわけで、石破の「善戦」というのは得票数以上に、議論の中でいわば安倍の「化けの皮」が剥がれてしまったのが決定的になったことの意味合いの方が、実際には大きかったのだろう。
だから数の上では「圧勝」と言っていい結果なのに、安倍選対の委員長の甘利明が慌てて「日本人には判官贔屓があるから」などと言い訳になってない言い訳を生中継のテレビ取材に言ってしまい、こうした狼狽を隠せない発言がかえって安倍政権へのダメージを大きくしてしまってもいる。その結果が、各派閥の「在庫一掃」名簿を押し付けられた組閣である。そこでさっそく安倍の求心力の低下と言う指摘まで党内ベテランから出て来ると言う悪循環まで起こっている。
沖縄県知事選で繰り返された安倍的「失敗の法則」
石破陣営が「選挙戦があと三日長ければ勝てた」と、負けても勝ったかのように言えてしまうようになった流れは、総裁選からさほど間を置くことなく行われた沖縄の県知事選挙でさらに決定的になった。総裁選の後半からの「悪い流れ」を断ち切る判断が必要なところを、安倍官邸は逆に今回の反省で失敗が見えていたはずのやり方を、なんの学習も反省もしないまま、より強硬にやってしまったのだ。
この選挙戦は本土ではほとんど報道されておらず、急逝した翁長前知事の「弔い合戦」が勝敗を決めたかのように思われがちだが、自民党側の致命的な過ちがいくつも指摘できるし、それは総裁選での安倍の思わぬ苦戦の延長線上にあると言っていい。
「世界一危険と言われる飛行場をいつ返すんだ。日本政府が早く返してくれ!」。沖縄タイムズの報道によれば佐喜眞陣営の事務所びらきで、佐喜眞候補が普天間基地の返還に掛ける思いを涙ながらに熱弁し、当然ながら満場の拍手喝采を浴びたのだが、それが官邸を激怒させたと言う。
佐喜眞氏はもともと宜野湾市長で普天間基地の返還・撤去が悲願で、そのためには辺野古移転は止むを得ないという主張だったはずだ。県単位の選挙ではこの後段までははっきり言えないにせよ(辺野古のある名護市の票を逃すことになる)、だからこそ普天間返還だけは強く訴えたかったはずが、辺野古移転について口をつぐむだけでは済まず、本土の政府の圧力で肝心の普天間についてすらほとんどなにも言えないのであれば、勝ち目はなくなるのは分かり切っていたはずだ。
なのに官邸と自民党本部が露骨な圧力をかけて佐喜眞陣営に強要したのは、沖縄の現実を知っている地元の党員や支持層の声ではなく、本土側の自分たちの思い込みに盲従することだった。沖縄は貧しく劣っているのだから、金さえ与えてやれば基地くらい我慢するはずだ(あるいは、我慢して当然だろう)という、その実深刻な差別意識を含む傲慢な思い込みで、自民党本部が佐喜眞に主張させたのは「中央とのパイプ」の効用と、節操のないバラ撒き公約だった。
安倍官邸が佐喜眞候補に強要した、負けが分かりきった下品すぎる選挙戦略
ただでさえ、いかに佐喜眞陣営が言及を避けようが辺野古基地問題は厳然とある上に、翁長氏の「弔い合戦」となれば元から自民系候補が不利になっても当然だったのが、オール沖縄の玉城デニーが翁長以上の得票で圧勝した原因として、こうした安倍官邸の意思に隷属した選挙戦しか佐喜眞陣営に許されなかったことは無視できない。
米海兵隊は辺野古新基地の一方で普天間もそのまま使い続けるのではないか、という疑念が沖縄では根強いのだ。現にそう取られても当然の発言もすでに米側から度々出ているし(もっとも、基地の将来については軍事機密なので軍の司令官レベルでは「答えられない」としか言えないのでもあるが)、研究者や専門家も指摘して来た。そんな文脈がすでにある中で佐喜眞氏がせめて「普天間はとにかく返せ」と明言しないだけでも政府・自民党は普天間基地を撤去する気がないのが本音と思われて当然なのだ。沖縄では、もはや自民党支持層ですらもはやそう簡単に政府に騙されはしない。それだけの不信感が根深く醸成されてしまっていることに、安倍政権は気づいていないのだろうか?
佐喜眞が訴えることのできた「公約」があまりにひどいものだったのも、官邸に激怒されて党本部に手足を縛られた結果だったのだとすれば納得は行く。現在全国で最低レベルの県民所得のアップを訴えたのも、その根拠になるのは官邸とのパイプだけで、なんの政策的な具体性もない。その佐喜眞と中央とのパイプを強調するように4度も応援に足を運んだのが菅官房長官だったが、佐喜眞は挙句にその菅の持論である携帯電話の料金4割値下げを沖縄で先行させる、とまで言い出していた。もちろん民間企業である携帯キャリア各社の料金体系なんて、県知事の権限はまったく及ばないわけで、「若者狙い」と言ってもこれでは子供騙しにもならない。
いや佐喜眞陣営が展開した、と言うより党本部が佐喜眞氏に強要した選挙戦は、ただ県民有権者を愚弄し騙しているだけでは済まない。玉城新知事が翁長の県民葬で述べたように、沖縄県民は基地の押し付けのバーターと言うか負担のお情けとして経済援助、と言う従来の自民党の沖縄振興策に辟易しているだけでなく、それがひどく差別的で沖縄を侮辱し踏みにじる態度でしかないことにも、気付き始めているのだ。
安倍政権は辺野古基地建設に強硬に反対したことで故・翁長雄志前知事を憎悪するあまり、その主張の根幹すらまったく理解できていなかったとしか思えない。
「琉球」の誇りを県民に取り戻させた翁長県政
故・翁長雄志が唱えた「イデオロギーよりアイデンティティ」という理念は、沖縄県民自身の意識にさえ明治以降刷り込まれて来た差別の構造と劣等感を、根底から覆すものであって、単に辺野古新基地の是非に留まるものではなかった。一言で言えば、沖縄に沖縄としての誇りの精神を取り戻すことであり、その象徴となったのが、沖縄から見れば政府のみならず本土の全体が沖縄を愚弄しているとしか思えない普天間と辺野古新基地の押し付けだった。
沖縄がもともと温暖な気候に恵まれた豊かな土地であるだけでなく、かつての琉球王国が海上交通の要衝として栄えた豊かな国だったことを、翁長は何かにつけて県民に思い出させ、また本土の側にも突きつけても来た。こと尚氏によって統一され琉球王国が成立して以降、沖縄は「万国の橋梁」として貿易で栄え、17世紀初頭に薩摩藩の侵略で属国化された後も、薩摩藩はその沖縄の国際性の豊かさを利用するために温存して来た。沖縄県という日本の南端の「辺境」の、貧しく劣った地域であるかのように貶められたのは、明治政府の「琉球処分」による併合以降のことに過ぎない。
琉球王国時代の優れた文化遺産の多くは沖縄戦で焼失・破壊されてしまったが、数少ない残された遺品を見てもその高度さは圧巻であり、江戸時代には日本から見ればエキゾチックさもあることも含めて知識人・上流階級に愛され、庶民レベルでも何度か「琉球ブーム」も起こっている。薩摩藩に支配されつつも公式には明朝・清朝と正式国交を持った冊封国として東アジアの国際秩序の中で確固たる地位を持ち、江戸幕府が正式に開国する前から、琉球を独立国とみなしたアメリカ合衆国は正式な友好・通商条約をペリー提督に結ばせてもいる。このアメリカと琉球の正式国交樹立の史実についても、翁長はことあるごとに繰り返していたし、日本と中華帝国の間にあって双方との交易で築かれた文化の独自性を思い起こさせるために、例えば中国の福建省福州市との友好都市30周年の記念に那覇港近くに「龍柱」のモニュメントも建設している。これはいわゆる「ネトウヨ」層に的外れで沖縄の歴史に関する無知を丸出しにした攻撃にもあった事業だが、龍は歴代の尚氏の琉球国王を象徴する重要なシンボルで、龍柱は元から琉球文化ではあちこちに(日本本土で言えば狛犬や獅子のように)建てられていたものだ。
翁長県政は日本本土の側から見れば、沖縄は政府の方針に逆らったり日米安保を覆そうとしていてけしからん、とか、あるいは日米安保の負担を押し付けられてかわいそう、という偏見でしか認識されていなかったかも知れない。しかし実際に翁長がやろうとして、一定の成功を持って徐々にではあっても県民にも浸透して来ていたのは、喩えて言えばチベット亡命政府のダライ・ラマ14世がチベットの将来について思い描いていることに近い。
独立を目指すわけではなく、歴史的に密接な友好関係を否定して敵対する気も毛頭ないが、自分たちは元々は異なった歴史と文化をもつ存在なのだからその誇りと独自性を回復し、それを認めさせた上で、日本なら日本、中国なら中国という近代国家の一部でありたい、という、穏やかながらも決して揺らがない強い意思だ。北京政府がそこを理解できないことがチベット問題がいつまでも長引く大きな原因だとダライ・ラマは考えていて、忍耐強く説得を試みているが、翁長雄志はほんの4年でこうした沖縄アイデンティティの回復を確かに県民の総体に定着させていたことが、今回の知事選で明らかになったのではないか。
佐喜眞陣営の、と言うか東京の自民党党本部の主導した、大金を注ぎ込んで組織の力をフル活用し、菅官房長官だけでなく小泉進次郎や石破茂まで動員し、友党・連立与党の公明党では創価学会の地方組織に厳しい締め付けまで課して結束を固めたはずの選挙戦が、組織力でも資金力でも圧倒的に劣り直前までは分裂すら噂されたオール沖縄=玉城デニー陣営にここまで大敗したことは、本土、特にその中央の東京では「非現実的な理想論」と見下していた翁長イズムが、地に足のついた理念として堅実かつ確実に、沖縄の人々の心を動かし、その意識を目覚めさせていたことを示している。
翁長県政をまったく理解できなかった安倍自民党の最悪の愚策
その翁長県政のもたらした根本的な変化が、安倍政権にはまったく分かっていなかったのはなぜなのだろう? その理由は安倍自身の外交を見ていれば実は簡単に見えて来ることだ。「日本を取り戻す」だの「力強く前へ」だの、「日本を再び世界の中心に」だのと繰り返し、外遊の多さを自慢して来た安倍外交は、一皮むけば経済大国の威信を鼻にかけ(最近では麻生副総理が日本を「G7の中で唯一白人の国ではない」と、今どき時代錯誤なことまで吹聴している)て経済援助などのバラ撒きを繰り返すか、先進国・大国相手には媚を売るだけで、どの国の国民と指導者相手にも、その心を動かすようなことは一切できていない(と言うか、最初からやってすらいない)。
わずかに感情に訴えられる外交カードである拉致事件ですら、被害者家族を使って同情を誘うくらいしかやっていないし、そんな同情期待の感情論では、「心を動かす」「共感を呼ぶ」とはレベルが違い過ぎる。安倍やその支持層は「被害者であること」にやたらと執心するが、ただ被害者であるだけなら憐憫を買うだけだ。被害者が本当に感動を呼ぶのは、その被害に抗うひたむきな姿にその懸命な意思が立ち現れる時だと言うことが、安倍たちにはなぜか理解できないらしいのは、あまりに教養がなく読書量も足りないか、まともな映画や演劇やテレビドラマも見たことがないからかも知れない。
甘利明が負け惜しみ的に口にした「判官贔屓」にしても、九郎判官義経がただ兄頼朝に対して弱々しい被害者であったなら、誰も「生き延びてチンギス汗になった」なんて神話を信じ込んだりはしない。「忠臣蔵」にしても浅野家がただ吉良の「被害者」でもなければ大石良雄らの行動もただの忠義の復讐ではなく、吉良邸襲撃が当時の絶対権力である幕府の裁定への異議申し立てでもあったからこそ喝采を浴び感動を呼んだのだ。『アンネの日記』が感動を呼ぶのは被害者ユダヤ人少女が「かわいそう」以上に、その日記に思春期の少女の繊細な感受性と強い個性が表現されていて文学的に高度な美しさがあるからだ。
なのに安倍政権やその熱烈支持層は、戦前・戦中の日本を美化するのでもなぜか日本が欧米列強の侵略に晒された「被害者」になり、ならば朝鮮半島や中国大陸、東南アジアへの侵略の理由にはならないはずが、そうした国々から批判が出ると「日本を貶める反日の陰謀だ」と言うように、どこまでも受け身の「被害者」を自称しようとする、その実泣き言しかないのだ。日本がハワイ真珠湾への奇襲で口火を切った日米開戦でさえハル・ノートと言うアメリカのいわば「いじめ」に追い詰められた被害者の物語にすりかわり、しかも「ルースヴェルトに騙された」とも主張する。あくまで、なんでも「他人のせい」、自分たちは「被害者」だと言いたがるばかり、そんな情けない話で世界の「共感」を得ようと言うのが自民党右派や産経新聞の「歴史戦」と称するものらしいが、あまりに恣意的な史実の捻じ曲げ切り貼りで出来上がった物語もプライドをかなぐり捨てた支離滅裂で、共感も感動も呼びそうにない。
一見すると保守、ないし極右で「愛国的」なポーズを取る安倍には、実のところ「日本」という国家と歴史と民族のアイデンティティとそれに伴うプライドがまったくないのだ。安倍やその支持層にとっての「愛国」とは中国や韓国、北朝鮮、ないし国内の「左翼」勢力に過去の戦争の責任を問われることを「反日」として憎悪するだけでしかなく、その「敵」(「こんな人たちに負ける訳にはいかない」発言が典型)との比較とかりそめの優越感だけでしか、彼らは「日本人」として自分を自己規定できていないのだ。安倍がなんの節操もなくアメリカの大統領に(そしてロシアのプーチンにも)媚を売ってしまうのも、そうした強国や「先進国」に自分を認めてもらうことでしか自らの立ち位置を認識できないからだろう。
元々は自民党員(元は同県連の幹事長)だった翁長が自民党に見切りをつけたのも、かつての自民党にはまだあった「日本的なるもの」への尊重が、こと安倍晋三や麻生太郎の世代ではまったくなくなってしまっていることと無関係ではないのかも知れない。
その視点から見れば安倍の唱える「価値観を共有する外交」などというのは出来の悪い冗談にしか見えないし(東洋と西洋というだけでもまったく異なった歴史を持つのだから、民主主義や近代法治という理念までは共有しても価値観が同じになるわけがない)、安倍が2015年の訪米時に米議会での演説であたかもアメリカと日本が同じ歴史を共有しているかのように語ったことなど、およそ翁長が(そして沖縄が)受け入れられるものではない。
敵を理解せずに勝てる戦いはなく、有権者を理解することなしに得られる票はない
辺野古問題はまったく解決の糸口が見えず、裁判所も司法の独立性をかなぐり捨てて中央政府有利な偏った(法論理的におかしい)判断しか下さない中で、県民や翁長の支持組織の中に疲労や疲弊、失望が広がっていたのも確かだし、現に辺野古新基地を抱える名護市長選では「オール沖縄」の前職が敗退している。翁長県政下で観光を中心に沖縄の産業は順調に成長して来たとはいえ、アベノミクスの「恩恵」が地方に及んでいないのは沖縄も例外ではなく、元々所得水準も全国で見てかなり低い水準のままだし、玉城デニーが訴えたように子供の貧困も深刻な状態にある。
そうした外から見た現状分析だけで、安倍自民党は従来の、貧しい沖縄を日本が支えてやってるのだから日本の安全保障のために基地ぐらい我慢しろ、我慢して従うのなら悪いようにはしない、という選挙戦で乗り切れると踏んだのだろう。そこには政府に逆らうなんてとんでもない、まして(琉球処分以降戦前まで二等国民扱いだった)沖縄が、という無自覚な差別意識も明らかにあるし、沖縄県民の側も大多数がその差別性に気付きながら逆らうことはおろか「本土」の不興を恐れて指摘もできないのが自分たちの立場だと思い込んで来たのも確かだ。翁長知事の登場で目覚めかけた沖縄意識も、政府との膠着状態で疲弊し、諦めて元に戻ってしまう可能性だって十分にあった。
だがそこで安倍政権が完全に見誤ったのは、それでもいったん目覚めたアイデンティティと誇りはそう簡単には消せないものなのに、それをカネの力と強権的な脅しで完全に押し潰せると勘違いして、まさにそういう選挙戦を展開したことだった。つまり、佐喜眞陣営には普天間の断固返還すら訴えさせず、下劣なまでの「カネの話」を公約の主軸に置くように強要してしまったことである。
さらに致命的な過ちもあった。もともと辺野古新基地に賛成する県民なんてほぼ皆無で、地元で基地反対派に反対する人々も「受け入れ容認」でしかない。キャンプ・シュワブの閉鎖で米軍相手の歓楽街が寂れて行った現状もあって苦渋の決断で受け入れをあくまで「容認」するに当たっても、政府が一戸あたり1億5000万という補償金というか迷惑料を約束していたこともあったのが、知事選を前に法的根拠がないので払えない、と防衛施設庁が言い出していたのだ。いったい何を考えているのかも理解し難い動きだが、しかもそれがまず沖縄地元紙、そして一部の全国紙でも報じられてしまった。
こんなことでは、いったんは諦め掛けていた心でも、逆に反発の火がついて当たり前だ。結果として無党派層だけでなく自民支持層票や公明党組織票の一部まで(創価学会票に至っては3割が)玉城に流れたこと以外にも、沖縄県知事選の投票動向にはもう一点、3期目に入った安倍自民の行く末を考える上でも見逃せない要素がある。出口調査のアンケートでは、かなりの人が玉城に投票した理由の一つとして、総裁選で見られた安倍政権の強引なやり方への反発を挙げているのだ。
少なくとも沖縄では、すでに安倍政権の「化けの皮」は剥がれてしまっている。言い換えるなら総裁選でも逆効果になりかけていた「やり過ぎ」の失敗が、沖縄知事選でははっきり結果に現れたとも言えるだろう。
強権的締め付けの「やり過ぎ」が自らの首を締める結果に
すでに述べたような新閣僚の「失言」リスクと答弁能力の低さや、安倍本人をはじめとする政権中枢のスキャンダルや失態が解消されていないことを抜きにしても、安倍政権がこの臨時国会を切り抜けるのはかなり難しいだろう。
例えば山下新大臣の下で法務省は外国人労働者を本格的に受け入れるための新制度を国会に上程する予定だが、これは他ならぬ安倍自身の熱烈支持層からの激しい反発を買う一方で、人手不足解消に外国人労働者を求めている経済界から見ればまだまだ中途半端な内容だし、逆に野党からは人権上の問題や、安価な労働力の輸入が日本人労働者の低賃金に繋がりかねないリスクを指摘する論戦が吹っかけられるのが確実だ。
安倍が突然言い出した「全世代型の社会保障改革」と言う耳に聞こえはいい新政策も、その中身はさっぱり分からないが、社会保障費の削減を美辞麗句で誤魔化そうとしていることだけはなんとなく伝わる。
東京オリンピックの経費がいつの間にか3兆円に膨れ上がっていることも会計検査院が発表したが、この問題で集中砲火を浴びるであろう五輪担当大臣が、すでに述べた通り答弁能力が不安視される桜田義孝だと言うのは、こうなると悪い冗談にしか聞こえない。
外交の先行きも暗雲が立ち込めている。安倍が「TGA」と言っていた先月の日米首脳会談での合意がFTA交渉の開始だったことも国会で厳しい追及に遭うのは間違いないし、しかも先の通常国会で強行採決されたIR整備法(カジノ合法化法)についてもトランプのゴリ押しに安倍が屈した結果で、ラスベガス・アンド・サンズのアーデルソンCEOへの「口利き」まであったことが米メディアの調査報道で明らかになっている。
そのトランプが「日本はこれからもっともっとアメリカの武器を買う」と言っていることもあるし、そのトランプが対中貿易戦争で強硬姿勢を強めていることは、中国をひたすら憎悪するだけの安倍の熱烈支持層は歓迎しているだろうが、ニューヨーク市場の株価暴落の主な原因と言われているように世界経済にとって重大リスクになりつつあり、同じような強硬な貿易・経済での対立をトランプが日本にも仕掛けようとしているのも含めて、安倍のトランプべったり対米追従路線への批判は、国会論戦だけでなく、自民党内からも出て来る可能性が高い。とりわけ農業票の反発は必至だし、安倍自身が政権を奪還する前はTPPにすら反対と言っていたはずだ。
拉致解決は被害者家族が勝手に自分に期待しているだけ、と言ってしまった安倍
対北朝鮮外交に目を向ければ、総裁選の討論で安倍がうっかり「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだ、などと言ったことはない。被害者家族はそう思っているようだが」
という言い逃れを口走ってしまったことも確実に問題になる。その被害者家族からは横田早紀江さんが「日本政府は今まで一度でも拉致問題についての怒りを北朝鮮に直接ぶつけたことがあるのか」と言う厳しい発言が、安倍自身が出席していた支援者の大会で投げかけられている。そして実際のところ、金正恩は文在寅韓国大統領に対しても、トランプ政権のポンペオ国務長官との会談でも、日本がその気ならいつでも話し合うつもりだと表明しているが、日本側ではその交渉に入れる態勢がまったくできていないまま、本題の「朝鮮半島の非核化」については既存の六カ国協議の枠組みから日本を外した五カ国の枠組みが着々と準備されつつある。
しかも新内閣が成立早々、この「蚊帳の外」状態をさらに強化するような真似をやってしまっている。韓国・済州島で行われた国際観艦式について、文在寅政権の与党である「共に民主党」が海上自衛隊旗が旧日本海軍と同じ旭日旗であることを問題にして、韓国政府として旗の掲揚を控えて欲しいと言う要請になったのは、はっきり言えば文在寅が(恐らくはトランプと金正恩も承知の上で)日本に仕掛けた “引っ掛け” の罠だったのに、安倍と新任の防衛大臣の岩間毅はまんまとその狙いに乗っかってしまったのだ。
確かに海上自衛隊旗が旧帝国海軍の旗をそのまま引き継いでいて、その海軍旗(旭日旗)が植民地時代の朝鮮半島でも盛んに軍国プロパガンダに使われたことは今さら変えようのない事実で、だから文在寅がいきなり無理難題を押し付けて来たようにも見えなくはない。艦船・船舶にはその所属・船籍を示す旗を掲揚することが国際的なルールなのもその通りだ。だがこのルールでは船籍を示す日本国旗を掲揚することも許容されるし、韓国政府と韓国世論を納得させるか、形だけでも受け入れ可能なやり方ならもっと簡単なものもあった。日本が先の戦争と侵略支配をちゃんと反省していること、つまり図柄は旧海軍旗と同じでも、それは決してその伝統や体質や思想の継承を意味するものではない、と明言すれば済んだことなのだ。別に安倍自身が言う必要も、閣議決定の必要すらない。元々それが自衛隊が設置された大原則なのだから、海上自衛隊はあくまで専守防衛の組織であることを岩屋大臣がその権限の範疇で説明すればよかっただけだ。
だが安倍政権にはそう言う常識的な大人の対応が出来ないことを、文在寅は恐らく見越していた。案の定、防衛省が「旭日旗は伝統的な意匠で漁船の大漁旗にも使われている」云々のいかにも偽善的な言い訳にしか聞こえない官僚の説明を出しただけで、日本は参加をやめてしまったのである。文在寅(と金正恩、それに恐らくトランプも含む)の計算通りで、日本が侵略戦争も戦争犯罪も植民地支配の失敗も実はまったく反省しておらず、その本音を口先だけの欺瞞で誤魔化しているだけだ、と言う印象を、日本自らが世界に持たせてしまったことにしかならない。その過去の清算こそが日朝国交正常化の大前提にならざるを得ないのに、である。
これが日本を一層「蚊帳の外」に置くための策略に他ならなかったことを如実に示すように、ポンペオの訪朝では米朝の協調路線が順調に進んでいることが強調されただけでなく、北朝鮮が非核化問題で中国とロシアとも交渉に入ることも同時に発表され、習近平中国主席の平壌訪問や、金正恩=プーチン会談が近い将来に行われることにトランプが期待を表明し、矢継ぎ早に朝=中=露三者の事務レベル会議まで開催された。
文在寅としてはさらに先の計算まであるのかも知れない。国際的に注目される日朝交渉で、しかもこうして「蚊帳の外」状態を作り出しておけば、日朝交渉の過程で日本側はより明確な戦争・植民地侵略の反省と償いを表明せざるを得なくなる可能性が高い。これは国際法上の平等の観点から、もし北朝鮮が1960年の日韓国交回復時の条件よりもより真っ当な謝罪と償いを日本から引き出せるなら、同じ新しい条件が韓国に対しても適用され、慰安婦問題も朝鮮人徴用工の強制労働問題も、抜本的な解決が望めるのだ。
失敗を直視できない安倍政権と、その閉塞した自己陶酔を支える人々
北朝鮮と米国、それに韓国の三者が水面下では密接に連携していることは、日本政府でも本当はさすがに見抜いていておかしくないのに、冷静な情勢判断の大人の対応もできずに対外的な印象をどんどん悪化させて孤立化を招いているのが安倍政権だ。そう動くしかないのは国内の熱烈なコア支持層との関係が大きな理由であることも、恐らくそれぞれの国の外交当局や情報部門ではとっくに見抜いているだろう。ことこの「旧海軍旗」の問題は、実は文在寅政権の仕組んだことなのに国内の世論を受けた与党「共に民主」党の要請に政権が従ったかのように装っている。ここに韓国外交のしたたかで狡猾な策略が見て取れるのに、安倍も岩間もそのいわば「罠」の計算通りの行動しか出来なかったのが実際だ。つまり「ハメられた」だけのうわべだけの強硬姿勢なのに、安倍熱烈支持層は無邪気に喝采を送っている。
総裁選の議論でも、自民党の杉田水脈議員が「新潮45」に寄稿した文章が大問題を引き起こし、その杉田を安倍がかばっているようにしか見えないことに、石破茂が珍しく怒りも露わに厳しい口調で批判を繰り広げていた。もちろん杉田の主張が自民党が公にしている党の方針にも完全に反しているのにも関わらず、党が問題にすら出来ず処罰も何もなかったのも、杉田が安倍の「お気に入り」であるだけでなく(だから中国ブロック比例第一位、つまり本人の支持者がいなくても議員になれる)、熱烈支持層の「アイドル」になっているからでもある。
沖縄県知事選の敗因にも、佐喜眞候補のみっともなさ過ぎたバラ撒き空手形公約と、辺野古新基地どころか辺野古基地の危険性の問題からすら逃げざるを得なかったこと以外にも、この安倍政権独特の歪んだ体質の問題が指摘できる。沖縄の現実からすれば荒唐無稽で有権者をバカにしているとしか思えないデマが、選挙期間中にさんざん流布されたことだ。
なんでも玉城デニーは中国の工作員で、知事になってしまえば人民解放軍が沖縄に進駐とか、沖縄が中国領になるらしい。こんな冗談みたいなファンタジーを振りまかれてはまともな有権者がそっぽを向くのは当然だろうに、今回の知事選ではそれがネット上の匿名ヴァーチャルを飛び出して、沖縄に乗り込んで佐喜眞支持を称する集会まで開かれていたのだ。佐喜眞陣営からは「連中、星条旗と日章旗を一緒に掲げて中国の侵略がどうのこうのと…。正直、やめて欲しかった。勘弁して欲しかった。冗談じゃないよ」(古谷経衡氏の取材 https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20181001-00098867/)というボヤキまで漏れ聞こえている。
「ネトウヨ」熱烈支持層が安倍政権を自滅に追い込む
翁長知事が沖縄の琉球アイデンティティの回復でその「万国橋梁」の歴史を強調して来たこと(薩摩藩が琉球に軍事侵攻して属国化しながらも形式上の独立は残して明・清との冊封関係は維持させたのも、琉球の豊かな貿易網を利用するためだった)が、本土の安倍熱烈支持層には「中国寄り」どころか「中国の工作員」にさえ見えてしまっていた歪んだ誤解だけでも、あまりに沖縄の歴史と文化を知らなさ過ぎる無知としかならないのだが、辺野古や高江や普天間基地への抗議反対運動も中国人や韓国人や、本土の「左翼プロ市民」とやらが金で動員されているというあまりに滑稽で荒唐無稽なデマまでが、ネット上ではまことしやかに語り続けられて来た。政府自民党がバックにいるならともかく、どこにそんな資金があると言うのだろう?
こうしたいわゆる「ネトウヨ」的言説が日本語のSNSを中心にネット上の政治的な議論で一定の存在感を持って来たのは確かだ。フェイスブックやツイッターのような大手SNSは世界的には差別的な言説や虚偽・匿名のアカウントを使った暴言などの迷惑行為や危険な言動に厳しい態度を取ろうという方針を明確にしているが、それぞれの日本法人にはほとんど反映されておらず、むしろ「ネトウヨ」を擁護するような傾向さえ指摘できる。そんな「ネトウヨ」層の暴力的な言動が跋扈していることへの忌避感や恐怖から、普通のSNS利用者が政治的な発言を控えてしまう程度の効果は確実にあるし、野党の一部には、蓮舫が代表になった際の「国籍」問題(ちなみに日本の国籍法上は全く問題なく日本単一国籍)への旧民主党の対応の拙劣ぶりが好例だが、ツイッターの荒らし目的メンションに過剰反応して自らの墓穴を掘るような傾向すら見られた。
だがそうしたネット上の言説が直接に安倍政権の権力基盤に寄与していたかどうかと言えば、たぶんほとんど直接の影響はなかったのではないか? むしろ常識的に考えれば「なんかトンデモな人たちが安倍政権を応援している」という印象しかなさそうで、支持者拡大に繋がるはずもなかろう。
沖縄県知事選と、その前の自民党総裁選の地方票(党員票)の動向は、「ネトウヨ」層に支持され、また反対派潰しに利用もして来た安倍政権が当然考えておかなければならないリスクが、ついに顕在化してしまった実例なのかも知れない。ネット上の一部サイトか「WILL」や「月刊Hanada」と言った一部の特殊すぎる出版物の範疇に収まっていた異様に荒唐無稽で病的に攻撃的な、実社会と切り離された内輪だけで消費されていた言説が、「新潮45」というそれなりの伝統と評価のあった雑誌にはみ出てしまった瞬間、その「新潮45」が事実上の廃刊になってしまったわけだし、沖縄県知事選では自民陣営の自滅オウンゴールを招いてしまっていたのだ。
これは総裁選において党内の締め付けのやり過ぎがかえって「地方の反乱」、つまり地方の旧来の自民党支持層が安倍政権に抱いていた不満を顕在化させてしまったことにも通じるし、もっと言えばアベノミクスの失敗を誤魔化し続けて来た結果の破綻寸前の日本経済の現状とも似通っているし、外交面でももう限界なのはすでに述べた通りだが、今度はアメリカのムニューシン財務長官が、アベノミクスの重要な要素のひとつである円安誘導を、今後それを許さない仕組みの構築を日米FTA交渉で要求する、とまで言い出している。
自己過信の過ちを自覚できない失敗の積み重ねの結果を、日本社会はすでに経験している
筆者自身は安倍政権を「大日本帝国の劣化パロディ」と常々みなして来ただけに、この安倍の6年間の成れの果ても、過去の歴史の過ちをなぞっているように見えてしまう。
日本が昭和の初期20年間に軍国主義の暴走に陥ったのは、日清・日露両戦争の成功体験が忘れられなかったから、という指摘がしばしばなされる。近代日本はこの二つの戦争で大国を打ち破ったことで自信をつけた結果、西洋列強並みの軍事強国であることを目指して戦争を積み重ねて行ったわけだが、よく考えれてみればあとは第一次大戦のマイナーな局地戦だった青島攻略以外に、その後の日本の戦争のほとんどは成功とは言い難い。
いや日清戦争にしてもすでに弱体化が顕著で軍事力の近代化も遅れていた清に勝てても当たり前だったし、日露戦争は当時のロシア帝国にとっては極東の局地戦に過ぎず、国内で「血の日曜日」事件が起きて内政の不安が顕著になったことから終戦に持ち込む必要があっただけだ。現にその講和条件を見ても、これは日本が「勝った」とはなかなか言えない戦争でしかなかったし、本当に勝利と言えそうな戦闘も、日本海海戦の半ばまぐれ当たりくらいしかない。それでも日清戦争でつけた自信の延長で、日本は「大国ロシアにすら勝った日本」に妙にプライドを持ってしまっていた。
この二つの戦争の勝利に酔い、成功体験に取り憑かれてしまった日本は、すでに大正時代のシベリア出兵でも惨憺たる失敗に終わっていたことを反省もできないまま、それ以上に無謀な中国大陸への侵攻を進めてしまうことになる。
満州事変まではなんとか(詐欺的手段を使って)辛うじて軍事的成功を納めたとは言え、日中戦争は戦闘では勝ち続けていても、伸びきった兵站線で補給もおぼつかない中で軍は疲弊し、それが南京占領時の大虐殺を始めとする各地での略奪・強姦・虐殺の大きな原因になっている。
ノモンハンでの偶発的衝突でもソ連軍に大敗していた日本は、1940年の時点ではすでに石油資源を求めての南進論どころか中国戦線の維持ですら難しい状態だったのに、あろうことか勝てるわけがないとあらゆるシミュレーションで判明していた対米開戦に、なぜか本当に踏み切ってしまった。
大日本帝国の劣化パロディとしての安倍政権の行く末
「大本営発表」の愚は別に対米戦争の惨敗続きから始まったことではなかったし、単に戦争を継続するために国民を騙すことだけが目的だったわけでもあるまい。むしろ日本の軍と政府の首脳部から下部組織に至るまでが集団自己催眠に陥っていて、そこに国民も巻き込まれて行ったと言った方が実態に近いのではないか? 催眠・洗脳というより、実は失敗続きであって継続も無理だと個々人では分かっていても、それを口にできない「空気」があったと言った方が、より正確かも知れない。
安倍政権にも似たところがある。安倍の外交についてもアベノミクスについても日本の大手メディアが「大本営発表」化していることは本サイトの記事でもことあるごとに指摘して来たが、これも国民を騙すためだけでなく、安倍晋三自身が失敗を自覚できない性格なので嫌なことを聞くと興奮状態になって判断能力がまったくなくなってしまう(ニュース23の石破との討論での迷走が好例)のでそれを防ぐためのようにも思えるし、熱烈支持の「ネトウヨ」層を元気付けてネット上の「敵」を叩くよう燃え上がらせるための材料提供の面もあるのではないか? これは言うまでもなく集団自己催眠と集団洗脳の教科書的なプロセスに他ならない。
同じような集団自己催眠と集団洗脳に陥ったかつての日本の行き着いた先については今さら言うまでもないが、その70数年前の失敗を直視することも拒否し続けているのもまた安倍政権の顕著な特徴だ。一皮剥けば、嫌なことを言われたりすると怒ったり傷ついたりする、非常に子供っぽい心理の結果でもあるのだが、総裁選と沖縄県知事選での失敗とその理由を認識して立ち直るようなことは、たぶんこの総理には期待できないだろう。
最後に付記するなら、今のところ日本の憲政史上最長任期を誇っている桂太郎首相は、第三次内閣になってわずか62日で退陣している。
コメントを残す