8月15日 DVDリリース オバマが涙した「大統領の執事の涙」映画評 by 吉田衣里「げんこつ団」団長

この邦題の「涙」がいけない。
この「涙」のおかげで、どんな”感動”や”賛美”等が仕掛けられているのかと身構えてしまった。
原題には、「涙」無し。実際は、事実を元に真面目にしっかりと作り上げられた歴史ものだった。
観賞後にはこの邦題の「涙」が、例えばどんなニュースでも安易に安いメロドラマにしてしまう感覚をとても良く表していることに、笑った。これがあった方が観たいと思う人が増えると思った、その感覚が分かり易過ぎて笑った。しかもそれがバレバレで、「”涙”、ない方がいい。」と思う人が実際には多いだろうことにも笑った。

社会の歴史に編み込まれた家族の歴史として完璧な出来

さて「大統領の執事(の涙)」。アイゼンハワーからレーガンまでの7人の大統領に仕えた黒人の執事、ユージン=アレンという実在の人物の人生を発想の元にして、実際の時代背景や史実に則って作られている。黒人を人と思わぬ時代から、公民権を得るも黒人に対する根強い差別が残る時代、それを覆しやがて黒人の大統領を産むまでになった、アメリカの歴史。その激動の時代に大統領の執事となり、その仕事を続けた男の家族の物語が、編み込まれている。実際の歴史、事件、風潮に、執事の人生や息子の人生、そのそれぞれ思いや信念が、編み込まれる。その編み込まれ方が、完璧だった。

自分を殺し白人社会に入り込むしか生きる術がなかった父、黒人としてのプライドを強く持ちそれに疑問を抱く息子。そのどちらも理解し支えようとしつつ一時は酒に溺れてしまう母と、ベトナム戦争で命を落とす弟。こう箇条書きにしてしまうと、この時代の黒人家族の縮図としてそれぞれがとても分かりやすいパズルのピースで構成されているのが分かる。しかし背景にあるのは歴史的事実でありその縮図には当然強い説得力がある。またその描かれ方も物語も構成も、見事にそれぞれの人生を表している。可能な限りそれらを余す事なく詰め込みつつ、どの立場にも寄る事なくそれを真摯に丁寧に描く。社会の歴史に編み込まれた家族の歴史として、それは完璧だった。

物語も構成も完璧すぎるけど……

差別問題。私事で恐縮だがそれは個人的にとても敏感になってしまう問題であり、ちょっとでも偏った表現や描写があったら激怒してしまいそうで嫌だった。逆に心の底にある感情を鷲掴みにされる台詞の一つでもあったら号泣してしまいそうで嫌だった。しかしそれはどちらもなかった。もちろん激怒したかったわけではないし、号泣を期待していたわけでもなかったが、そのどちらもないとなると、勝手に拍子抜けしてしまう。何かが物足りない。

素晴らしい映画だったし感動もした。もう一度観たいとも思った。しかし物語も構成も完璧すぎて「お見事」という感想が先に立ってしまった。例えば、何かに偏った視点、何かに主観的になった描写、何か一部だけを殊更強調する部分があった方が、簡単に感動を引き起こせるだろう。それは、デッサンの一部がちょっと狂った、もしくは意図的にデフォルメされた絵画の方が人の心を揺さぶるのと同じだろう。ただ、この映画でそれは不必要なはずだ。これに関して言えばそれは結局、「大統領の執事の涙」の、「涙」の部分だろう。そういうものは、要らない。つまりそういうものが足りなかったわけではない。もしあったらもっと拍子抜けだ。邦題に拍手だ。

「涙」無しに泣ける涙。それはとても、価値が高く重要

これはあくまでも私の個人的な感想だが、黒人大統領が誕生してやっと初めて一旦めでたしめでたしとなるこの物語、しかしそこで”めでたし”としてしまった所に、釈然としていないのかもしれない。いや別に大々的にハッピーエンドにはしていないし、史実としてそれはこの家族には丁度そこに描かれたくらいのハッピーエンドなのだという事はとてもよく分かる。アメリカの黒人問題を題材にしている以上、これで良いのだ。ただ勝手な思いとしては、国内外関わらず差別や蔑視というものに関して今後にも残る課題を、或いはもっと深く、どの人間の中にも不変的に存在するものとして、何か一つ、心に斬りつけ刻むもの、私にはそれが、欲しかったのかもしれない。それは「涙」ではないが、世界の多くの人が心を揺さぶられるものだろう。

ただ、当事者として直接的に黒人問題と対峙していない自分があれこれ言うべきでも考えるべきでもないと言えばその通り。
これは、アメリカの映画だ。全米が泣けば、それでいい。
イメージとして、メジャーなアメリカ映画には感動や賛美等の「涙」要素が必要不可欠と思っていたが今はそうではないのかもしれない。

それでも全米が泣くなら、その方がいい。それなら私も、共に泣きたい。
「涙」無しに泣ける涙。それはとても、価値が高く、重要に思う。

歴史と家族を完璧に編み込んだ物語の重要な結び目

…以下、少々ネタバレになりますので読みたくない方は読まないで下さい。

縁を切っていた息子の活動に初めて顔を出した父。その父に対する息子の台詞が「仕事を失うよ?」。そして、それに応えての父の台詞が、「お前を失った」。これが、歴史と家族を完璧に編み込んだ物語の、重要な結び目となっていた。またもや勝手なイメージながら、アメリカ人にはこれがズドンと来るのであろう。もし泣くならここが泣くポイント。どんな人生においても不変的に重要な、家族愛。それはどんな人間にも不変的なはずなのに、私には何故これがズドンと来なかったのか。

乱暴に言うと、日本において家族は失われるものではない感覚があるのかもしれない。いや実際には完全な勘当はあるし失う時には簡単に失われる。ただ、個人主義的価値観の中のそれとは、やはり重さや意味合いが違うのかもしれない。仕事も家族も、失うとなったら、完全に失う。そのシビアさの感覚に、違いがあるのかもしれない。そこのところを、ちょっと考えてみたくなった。

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