『下北沢映画祭』の前夜祭が9月21日(土)、『本屋B&B』で催された。
前半は
・いまおかしんじ(『かえるのうた』監督)
・大木雄高(下北沢ジャズバー『レディジェーン』オーナー)
・大槻貴宏(下北沢映画館『トリウッド』代表)
の三者によるディスカッションで後半は
映画『A・Y・A・K・O』(大橋裕之・監督、22分)
の上映だった。80人ほどの観客が
参加した。
1966年から下北沢を知る大木さんは
かつて4館も下北沢に映画館があった
文化事情について暴露した。
「下北沢には文士がたくさんいたんじゃ。
横光利一、宇野千代、石川淳、萩原朔太郎といった
蒼々たるメンバーが……。彼らは映画に 関与(engagement)するようになって、
映画監督や役スクリーンに映る役者も住むようになってきたんじゃ。そして、70年代になってから、
関西人が移住してきた。路地だらけだからのー、小さな店がボンボン鰻上りにできた。
(ニューカマーは)みんな小さな店ならやれると思った。
で、アートン出版社が主体となって映画館『シネマアートン』が下北にできた。
わしも関わった。 しかし、いまから何年になるかのー、そう、2008年に『シネマアートン』は
突如閉鎖されて、作品が公開されて上映しているなかだったから、
その映画を『トリウッド』で引き継いでもらったよ。
下北沢という土地による友情じゃ」
いまおか監督は下北沢を舞台に描いた『かえるのうた』を創った経験を語った。
「この映画は2005年に下北沢で撮ったんです。この映画はポルノ映画として公開されたものを
加工して出来た。路地だらけでもぐりこめるし、匿名になれる。歩いていてCawaii娘も多い。居心地も良い。
この猥雑さがいい。ワシは作品のラストに行き詰まり、下北沢駅南口にあった噴水で
かかんだ。そんとき、ひらめいた。よし、ここで踊ったれ。道路使用許可も要らない。
ゲリラ撮影じゃ!観衆もいっしょにおどればいいじゃないか!と……。
そして、ラストはダンス・シーンになったとです」
大木さんは自身の下北沢シーンを
「下北沢ってのはロマン・ポルノ全盛期はピンク映画の舞台になった。
『ざわざわ下北沢』と比較して『かえるのうた』を語ると、
前者は 『地元密着』をうたっとるが何が地元密着じゃ!と突っ込みたくなる。
あざとさが垣間見えてしまう。『かえるのうた』はつくられた感が
なくとても自然だ。わしが学友のもとをたずねて下北沢に降り立ったのは
1966年1月のことじゃ。ワシはそのころ、ジャズキチなうえに映画既知外じゃった。
ジャズ喫茶・ジャズバーがそこら中にあった。
劇団で作・演出をやっていたが金が入らん。
バイト!バイト!で29.5歳まで喰いつなぐ日々が続き、
生活費をえるためにいやいやながらジャズバーを創った。
それが『レディジェーン』じゃ。『変わらないこと、変えないこと』が
経営理念とでも呼ぶべきものかの~?
『ジャズ・映画・酒』の3つがそろった人に来て欲しい。これらは連関性があるからじゃ。」
と回顧し、下北開発に苦言を呈した。
「文化施設がなければダメじゃ!緑道・緑地をどんどん創っている。
開発賛成派も反対派も『みどり』には反対とは云わん。それでええんか?
無目的な多目的ホールは文化施設とはいえん!
民間に委託された北沢タウンホールは使用料が高い!あまりにも高すぎる!
区が建てた施設を地に根付いた『民』が管理する。これが理想といえる」
下北沢映画祭は22日、23日に催される。
Par OÏKAWA Henri-Kénji
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