率直に言えば、トランプと金正恩が「物別れ」に終わった(かのように見えた?)時、筆者にはむしろ、とたんに広がった「驚き」「意外」の方こそが意外だった。こと日本のメディアはこぞってトランプの「前のめり」を危惧して「金正恩に騙されそうで心配」だとか、昨年6月のシンガポール会談以降目立った「成果」がなかったことから、このハノイ会談そのものに懐疑的なのが主たる論調だったではないか?
そもそもアメリカと北朝鮮が折り合えるわけがない、と決め込んでいたはずの人々が、なぜ予想通り、ないし期待通りと思わないのだろう? 喜んでいたっておかしくないではないか。
このように米朝を対立の構図で考える前提自体が見立て違いなのではないか、と指摘し続けて来たのが本サイトの一連の記事だ。ドナルド・トランプと金正恩は利害が一致していると考えた方が、昨年の新年の北朝鮮の平昌オリンピック参加表明以降、いやその前年の夏頃からの動きには、よほど合理的な説明がつく。昨年の第一回会談までの展開も、報道の多くが「意外」と言い続けたのに対し、本サイトでは想定外はなにもないと分析し、予測もほとんど的中させて来た。
金正恩にとって核武装はそれ自体が目的ではない。核とミサイルの開発は、代替わりして以降父や祖父の時代と大きく異なる政治外交を目指していても偏見で見られるだけだった国際的な立場をひっくり返す切り札と、せいぜいがアメリカの巨大核武装に標的にされ続けていること(いつでも完全な絶滅攻撃が可能)に対するせめてもの抑止力、としか考えておらず、旧世代の政治家にありがちな「世界最強の兵器」を持つことへ幻想や執着も、まったくない。
むしろ核開発も核武装の維持も、膨大な国費がかかる。その金はできることなら国内の経済発展に向けたいのが金正恩の考える現実だろう。それに韓国との国力の差もあまりに開き過ぎていて、今さら武力で祖国統一などあり得ないことも分かり切っている。金正恩にそんな大それた「野望」はないし、そもそもそんなことを考えられる立場ではないことも、少年時代はスイスの留学先で育ち国際社会の現実も理解しているのだから当然分かっているし、その行動は偏見を排除して客観的に見れば、常にそうした理解を踏まえていて、合理的であり、紆余曲折はあっても結局は、自分が北朝鮮にとってもっとも必要と考えることをかなりの部分実現させて来ている。
イデオロギーや軍事力信仰よりプラグマティズムで一致する米朝両首脳
一方のドナルド・トランプは、選挙期間中から「外国を守るためにアメリカ人の税金は使わないしアメリカの若者も犠牲にしない」と公約していた。政治的には極右ポピュリズムを支持基盤としていることの問題は多く毀誉褒貶が激しい一方で、ビジネスマンとして徹底した合理主義の面があるのも確かだ。
そのトランプから見れば、そもそも北朝鮮が本気でアメリカにイデオロギーに基づく根源的な敵意を抱いているという従来の「政治常識」は荒唐無稽としか思えないだろうし、実際に荒唐無稽でもある。北朝鮮にそんな国力があろうはずもなく、朝鮮戦争が法的に「休戦状態」のまま、朝鮮国連軍の名目で膨大な軍事力を西太平洋・東アジアに展開し続けていることも無駄としか思えないし、北朝鮮の国内体制についてのイデオロギー的な興味もない(逆に言えば、トランプはアメリカの体現するイデオロギーの「正義」も信じているわけではない)。
しかも北朝鮮には、レアメタルを含めたかなりの埋蔵資源があり、中国が世界経済の大きな中心になっている現在では、地政学的に極めて有望な条件が揃っている、アメリカの資本にとってもアジア地域最後の投資先フロンティアでもあるのだ。
つまり米朝の「戦争状態」を終わらせ新たな米朝関係を作ることと、北朝鮮の国際社会への復帰は、共に既存の東アジア国際政治の(未だ時代錯誤に冷戦構造を引きずった)構図を「今さら馬鹿馬鹿しい、邪魔」と言う考えで一致している二人の首脳にとって、プラグマティックな共通目標になっている。しかも「平和の構築」は、どちらにとっても自分たちの悪いイメージを払拭し支配を正当化できる点でも、利害は一致して来たのだ。
言い換えれば、昨年6月のシンガポールでも今回のハノイでも、米朝首脳会談で対立図式にあるのは二人の首脳ではない。東アジアの冷戦構造の最終的解消とそのための朝鮮半島の非核化を目指しているのがトランプ、金正恩双方であり、双方の率いる国にもその周辺国にも、この二人の結託した東アジア安全保障の大パラダイム転換を妨害したい意思がそこらじゅうにあって、米朝の首脳がそんな抵抗をどう乗り越えて行けるのか、が真の図式なのだ。
抵抗勢力は双方の国内にも当然いるわけで、だからこそ前回も今回も、米朝首脳会談は「トップダウン」方式(通常の、事務方が合意内容を積み上げて事前にお膳立てを揃える外交交渉の定例とは真逆)と論評されて来た。トップがどこまでやる気満々でも、いわば「ボトム」の方ではトップの発想が従来のパラダイムからすれば突飛過ぎて、なかなかついていけないのが、双方の実情ですらある。北朝鮮側では、対米実務を担当する崔善姫財務次官が事務レベル交渉での強気の主張を繰り返し、米朝会談が破談になりかけて、金正恩自身がトランプ宛の親書でその主張を否定して事態を丸く収めたこともあったし、アメリカ側ではホワイトハウスの中でさえペンス副大統領が反対派、トランプはそれでも対北和解交渉を強行するために、国務長官をビジネス界出身のティラーソンから現職のポンペオ前CIA長官に交代させた。米韓合同演習の重要性を訴えるマティス国防長官も政権を離れている。
ことトランプにとっては、そうした国内の反対をどう説得するか、あるいは騙くらかすか、黙らせる必要が大きい。いやむしろ、そこにこそトランプにとっての内政的なうまみがあるとすらいえ、前任のオバマ政権が表向きは平和主義や国際協調を掲げながら何もせず、結果として核とミサイルの危機を生んでしまった現実を事あるごとにあげつらい、非難もして来た。
今回の会談の前には「私が大統領になっていなければ、今頃は北朝鮮と戦争になっていた」とまで主張していたし、会談後の記者会見ではただオバマを批判するだけでなく、これまでのあらゆる政権が誤っていたのだとさえ言ってのけた。既存のエリートそうによるエスタブリッシュメント政治の否定こそが、この大統領のポピュリズム的手法の根幹にある、その流れにある発言でもある。
そもそもハノイ会談でどんな「成果」があり得たのだろうか?
しかしトランプと金正恩の二人自身は利害が基本的に一致しているからこそ、逆に今回の会談がアナウンスされて以来「しかしどんな合意が可能なのだろう?」「どんな成果を出せるのだろう?」と言うのが、筆者の当初からの率直な疑問だった。
形だけの「成功」ならいくらでも共同宣言なり合意文書なりの文言を工夫はできるだろうが、中身のある成果となると可能なものがほとんど見当たらないのだ。
トランプが中間選挙の厳しい結果と、その結果のねじれ議会で連邦政府の一部閉鎖に追い込まれて熱烈支持層以外からの支持を失い、ロシア疑惑などのスキャンダルでも追い詰められている今、この2回目の米朝首脳会談の「成果」は起死回生のカードになり得ると言う観測はもちろんあったが、だからと言ってトランプの気分だけで左右できる話ではない。
金正恩にとっても、建国以来の対米敵視から手のひらを返したような新たな外交方針は、内政的には両刃の剣でもある。祖父や父とは比べ物にならない強力な権力基盤(金日成も金正日もある意味、労働党独裁体制構造の上に乗っかったお飾りのリーダーでしかなかった)を構築して来たこの金「王朝」世襲三代目と言えども、一歩間違えれば労働党内部や軍から「アメリカ帝国主義に屈した」と言う国家存立イデオロギーそのものに基づく大義名分で突き上げられ、最悪クーデタを起こされるリスクすらある。つまり金正恩の側でも、「成果」は出し続けなければならないのだ。
それでも、双方が建前だけでなく実は本音でも合意している「朝鮮半島の非核化」は、この二人だけでは進めようがないどころか、そもそも米朝だけでは決められないものなのだ。最低限でも朝鮮戦争を最終的に、法的・形式的にも終了させることなしに「非核化」はあり得ないのだが、これには参戦国だった中国の参加が必要になる。
最重要課題は「朝鮮戦争の終結」、その鍵を握り状況を支配する中国・習近平
昨年6月のシンガポール会談でも、文在寅韓国大統領と習近平中国主席がサプライズで合流すると言う観測がギリギリまで飛び交い、文在寅は宿泊先まで抑えていたとも言うし、金正恩は米朝階段前に2度も中国を電撃訪問して、一昨年まではアメリカ相手以上に激しい罵倒合戦を繰り返して来た(「大きいだけののろまな近隣諸国」など)関係を修復して来た。金正恩には習近平の協力を取り付けた自信があったのだろうし、だからこそのシンガポール会談にもなった。
だが会談直前のギリギリのところで、トランプと金正恩、それに文在寅が期待していた通りにはならなかった。シンガポールで前日になっても事務レベルで様々なすったもんだが続いていたのは、アテにしていたはずの中国の協力という予測(というか期待)が外れて、慌てて形だけでもいいから合意をまとめ直さなければならなくなったから、と考えるのがもっとも合理的な説明だろう。そして現に米朝がここで交わした合意は、「形だけ」でしかなかった。
今回は開催地のハノイに、金正恩がなんと陸路・列車で向かうと報じられたのも、つまりは中国領内を通過することの意味が元々は大きかった。途中で北京に寄るか、天津あたりで習近平と会う、と言うことでもあれば、ハノイ会談には大きな、それも実質的な「成果」が期待できただろう。
だが今回も、北京は沈黙を貫いただけだった。金正恩の中国列車縦断と言うパフォーマンスも北京に寄ることはできず、単にそれぞれの地方行政府に礼儀正しくはあっても形だけの歓待を受けただけだった。これでは「米朝だけでなにを決められるのか?」と言えば「なにもない」と言うのが筆者の率直な見立てであり、だからこそ「決裂」にもそんなに大きな驚きはない、と言うのが正直なところだ。
中国がどうも動きそうにないという観測から、韓国大統領府が「米朝だけで朝鮮戦争の終結宣言」という案まで言い出していた。確かに、この戦争のほとんどの参加国間ではそれぞれにそれなりの和平は出来ていて、昨年の南北首脳会談と「板門店宣言」で韓国・北朝鮮間が正式の戦争の終結に向けての協力で合意した後では、敵対関係が残っているのはアメリカと北朝鮮の間だけだ。
韓国が大いに期待した、というか懸命に希望をかけた(大統領府からそんな情報を流すほどの)この窮余の策も、確かにひとつの「落とし所」にはなっただろう。現にハノイでの会談の初日の段階で二人が署名できる合意文書は出来ていたし、トランプも「決裂」後の会見で、「署名するかしないかの選択肢はあった」と明かしている。
会談の前には金正恩が「みなさんが驚くような結果になると直感している」とまで口にしていた、その予定されていた合意の主たる内容が敵対関係の終了宣言だったことは容易に推測できる。
それにこの場で米朝だけでまず「朝鮮戦争は終わった」と宣言して、後から関係国の賛同を取り付けていく、と言うやり方もあり得たはずだし、特にトランプにとっては、この後には米中「貿易戦争」交渉をめぐって、最終的には習近平とのトップ会談が控えている。
トランプが会見で挙げた「決裂」理由は眉唾
トランプが「決裂」、と言うよりは今回は合意は見送ったとする理由として、北朝鮮が制裁の完全解除を求めて来て、アメリカが求める完全な非核化と意見が対立したから、と言っているのは、おそらく嘘だろう。
そんな真っ向勝負のガチンコ交渉は、それこそ事前の事務レベル協議で、さすがに無理だと双方が確認できていなければおかしい。トップ二人で決めてトップダウン、と言ったところで、いかに金正恩とは言え全ての核兵器の所在のリストをアメリカに渡すことはさすがに軍の反発が怖くて無理だし、アメリカ側にしても制裁は国連安保理決議に基づくもので、日本やNATO諸国のような同盟国との関係もある。いくら「アメリカ・ファースト」のトランプでも、「トップダウン」で決められることではないのだ。
「制裁解除」も「核放棄」も、金正恩とトランプ二人だけの間ならば共通理解に基づく共通目標だが、だからこそ自分たちだけでそう簡単に通せる話ではないことがわかり切っている。むしろ「段階的交渉」、この目標に向けてどうステップを設定してひとつひとつこなして行くのかがこれまでの交渉の中身であって、いきなりこんな大原則どうしで「ぶつかる」と言うのはいくらなんでも考えられない。
実際、北朝鮮側で李容浩外相が「反論」会見を行い、制裁の全面解除を要求したことはないと明かした。
アメリカ側が2日目の拡大会合で言い出したのも、元から事前協議で決まっていた寧辺の核開発施設の廃棄に突然プラスアルファがあったからだと言う。トランプの会見での発言と掛け合わせて考えると、どうも北側の公式の認識としては存在すらしていないことになっている別の施設を、アメリカがスパイ衛星や偵察飛行などで補足したとして持ち出して来たらしい。
そんな交渉の内容をかなり具体的に明かしたのは、北朝鮮側としては相当に大胆な決断ではあり、だからこそ李容浩はあえて淡々と、準備した文書を読み上げるだけの冷静な態度の会見で済ませたのだろう。同席した崔善姫外務次官は、金正恩が「意欲を失っているのではないかと思う」などと発言しているが、これまでの崔氏の立場や動きを見ても、むしろ自分の固定観念と感情に捕らわれた意見だったか、アメリカを牽制したつもりの発言だったに過ぎず、どこまで真に受けるべきかどうかは分からない。
そんな憶測よりもまず、改めて状況を整理するなら、北朝鮮にとってそもそも課題は単なる「完全な非核化」ではなく、二つの段階がある。
まず新たな核開発・ミサイル開発を完全に停止するのが第一段階で、これはすでに実行を明言しているし、そこに嘘はないだろう。核弾頭そのものの開発にしても、ミサイルの開発にしても、これ以上は大規模な実験での度重なる確認が必要であり、秘密裏では進められない。アメリカに届く大陸間弾道弾技術は理論上はだけは完成していても実戦レベルには到達していないし、そこに搭載する核弾頭についても大気圏再突入技術は未完成のようだし、弾頭それ自体についてもまだまだ実験は必要だろう。
第二の段階として、すでに製造し保有している核兵器の破棄と、その生産能力自体の放棄がある。これはよほどの信頼関係を構築できなければ、さすがに譲れない一線だ。まず軍事安全保障の当たり前の常識として、自国の具体的な戦力・軍事能力の全情報を他国に教えるなんてことは、相当に密接な同盟関係があってもまずやらない。そんな情報まで完全に与えてしまうのはつまり属国化を意味し、軍がほとんど本能的な条件反射で拒絶するレベルの話だ。最低限でも朝鮮戦争が「休戦」ではなく正式に「終結」しない段階で、アメリカが本気でそんなことを要求したのだろうか? それもトランプの記者会見での弁では、マスコミが全く存在すら知らないような、北側がその存在を認めてすらいない基地ないし生産設備をアメリカがスパイ網で把握していて、それを北側に突きつけたというのだ。
極端な話、世界で最高レベルの軍事衛星や偵察機などの情報収拾ハードウェアのシステムを持っているのがアメリカである以上、実はそもそも存在していない軍事施設や兵器を「隠している」とでっち上げの主張で破棄を迫ることすら、アメリカがイラク戦争の開戦に当たって当時のブッシュ息子政権で用いたやり方で前例がある。北側からすれば「そんなものはないから破棄しようがない」と抗弁しても、逆に「嘘だ、ならば戦争だ」とやられてしまうリスクすら感じてしまう話だ。
こんな無理難題で信頼関係を壊すようなことが、本当にハノイでの二日目の拡大会合の場で出て来たのだろうか? ひとつ気になるのはこの拡大会合に、予定にはなかったボルトン大統領補佐官が出席していたことだ。言うまでもなくブッシュ(息子)政権当時に存在すらしていない大量破壊兵器を理由に対イラク開戦を主導した一人であり、ファナティックなまでの強硬派だ。
「完全な非核化」要求は非現実的だと考えていたはずのトランプ
これまでは、トランプ自身が会談前にも(と言うかシンガポール会談の直後から)「完全な非核化には時間がかかる」と強調して、核実験とミサイル実験の停止だけでとりあえずは信頼すると言う趣旨の発言を繰り返して来たし、だからこそ北側でも今回の「段階的な」落とし所として寧辺の核開発施設の完全閉鎖をあらかじめ提案していた。その金正恩自身が、2日目の米朝拡大会合の合間のメディア取材タイムでは、アメリカの記者の質問に答えて「核放棄の意思がなければ私はここに来ていない」とまで言っている。
つまり、この2日目の昼前の段階でも、金正恩はまだ米朝だけで双方の戦争状態が解消されたと宣言し、寧辺の核開発施設の完全廃棄を具体的な成果とするとりあえず合意に至る目算を持っていたはずだ。
逆に「決裂」後の会見で、トランプが「今はまだ署名するのに適当ではないと(双方が)判断した」と強調し、この二日間を「建設的だった」、金正恩についても好意的なコメントを強調したことの方には、ほとんど嘘がない。今回は番狂わせがあって双方にとって当初の想定通りに行かなかっただけで、米朝が和解に向かう大枠の流れは変わっていない、と言うわけだ。
だがその一方で、中国を巻き込めないことには双方どちらにも実質的な成果が望めない現実もまた、変わらないままだ。あれだけ事前に話題になった「朝鮮戦争の正式終結」を、会談が物別れになったあとでは誰も言及すらしていない。つまりはやはり最大の障害はここにあり、米朝間だけでの一方的な和平宣言は効果が足りない、という最終判断に至ったのが、この表向きは「決裂」の真相だろう。
では今回はなにが想定外で、どこでうまく行かなかったのか? あるいはなぜ、二人はぶっちゃけ「今回は合意しないこと」で合意したのか?
まず、どう考えても「中国がなにを考えているのか読めない」が最大の理由だったのは確かだろう。習近平はこの米朝交渉や「朝鮮半島の非核化」について不気味なまでに沈黙を守り続けているし、経済制裁の解除ひとつを取っても、国連安保理常任理事国である中国が土壇場でイニシアチブを取ってしまう可能性もある。確かに中朝国境地帯で中国側の業者が北朝鮮との密輸入を続けていることを、北京当局は黙認している(北朝鮮の国民から見れば「あの人たちも生活がかかっている商売だからそう国には従えない」となるし、中国政府もだからそこまで徹底した取り締まりはできないのだろう)。だがあくまで「黙認」というか、その事実は把握や摘発が難しいのだと言ってしまうだけで、中国は平然と制裁解除を「時期尚早」とすら主張できるし、いやそれ以前に、賛否を明らかにしないでシラを切る、というやり方だけでも相当に有効だ。
「朝鮮戦争の終結」という、北にとっては現在保有している核兵器の廃棄を始めるにはどうしてもクリアしなければならない条件が、この中国次第であることは再三繰り返して来た通りだし、もっと言えば「朝鮮半島の非核化」にはアメリカが東アジア地域に展開している核武装と、そこと核抑止力の軍事バランス関係にある中国の核武装を巡る米中交渉と中国の決断も絡んで来る。
さらにうがった見方をすれば、トランプが北朝鮮を将来的にアメリカにとっての有望な投資先と考えていることも、米中の経済覇権をめぐる競争に発展する可能性は否定できず、その米中間にはすでに経済問題でシビアな交渉とその妥結が控えているのだ。
つまり全ては中国次第、習近平は文字通り「何もしないこと」で決定権を掌握してしまっているのが現状の構図である。
だからと言ってもちろん、中国がここへ来て決定的なキャスティング・ヴォートを持ってしまっていることを、アメリカも北朝鮮も、国家のメンツにかけて認められない。どちらにとっても今後の対中交渉で中国にますます足元につけ込まれるネタにされてしまいかねないのだ。
突然のワイルドカード「トランプ政権の先行き不安」の闖入
さらに1日目に一対一会談と夕食会のあったその後の、ハノイ時間で言えば深夜にかかる時間帯には、アメリカ議会でトランプの元顧問弁護士マイケル・コーエンの公聴会が開かれた。これは衛星国際放送で生中継されていて、シンガポールのホテルでももちろん見ることができる。
まずこの公聴会が開かれたのは、明らかに米議会下院の多数派を握った民主党とコーエン氏がわざと米朝会談にぶつけて来た日程だ。トランプとしては重要な外交交渉の合間であっても深夜にこの生中継を見ざるを得なくなったはずだし、現にリアルタイムで反論のツイートまでしていた。
決定的な事実・証拠はコーエン氏も知らないようで、ロシア疑惑糾明の公聴会としては不発だったが、それでもポルノ女優との不倫口止め問題などのスキャンダルについての違法行為をめぐる暴露が次々と証言された。コーエン氏はトランプの命令で脅迫をやらされたことが500回くらいあるとまで言い、人種差別主義者で詐欺師だと口を極めて非難した。トランプは中継後にアメリカにいる弁護士と電話で対応を協議していてほとんど寝ていない、とも言われている。
それにロシア疑惑自体が、対北朝鮮交渉とは無関係とも言い切れないのだ。だいたい選挙中はロシアとの関係改善を公約していたトランプ政権だというのに、この疑惑が出て来てしまった結果、疑惑払拭の印象操作のために対ロシア強硬姿勢を取らざるを得ず、交渉や接触が事実上不可能な立場に追い込まれ、両国との関係は冷戦後最悪と言われている。
旧ソ連は朝鮮戦争の直接交戦国ではないが、スターリンがこの戦争に深く関わって金日成を対米・対韓戦争にけしかけた面すら指摘されている(朝鮮戦争の勃発自体がスターリンの陰謀とすら言える)し、その後も北朝鮮と密接な外交関係を保ち、ロシア連邦共和国になってからも北朝鮮核問題の六ヶ国協議の参加国だし、朝鮮半島情勢はその安全保障や経済的利害とも深く関わっている。
しかもトランプ=金正恩の共通目標の「朝鮮半島の非核化」についても、極東シベリア地域にも核武装を展開しているロシアは、核抑止力と軍事バランスの観点から無関係とは言えない。北朝鮮全土を射程に収め、いつでもその国土全体を完全に破壊できるだけのアメリカの西太平洋方面の核武装の一部は、かつてのソ連、今のロシアの核武装に対する抑止力でもあるのだ。つまり、「朝鮮半島の非核化」を意味あるものにするためには、アメリカはロシアとの核軍縮交渉の開始も考えなければならない。
ロシアは米朝交渉が進展すれば、いずれトランプと金正恩双方が巻き込まなければいけない相手なのに、トランプは現在プーチン政権との間で現在中距離核ミサイル禁止条約を巡ってかなり激しく対立している。つまりこれからロシアを巻き込む交渉は、金正恩がやらなければならなくなるのだろうが、トランプ政権がロシア疑惑で不安定化して、ますますロシアとの対決姿勢を鮮明にしなければならない立場に国内的に追い込まれるほど、その金正恩の仲介も難しくなるだろう。
トランプ政権が倒れればすべてご破算? 金正恩が焦るとしてもおかしくはない
それ以上に金正恩にとって不安なのは、このような疑惑追及の公聴会が今後たびたび米議会で開かれるようになれば(下院は中間選挙で民主党が多数を握っており、共和党は上院でかろうじて過半数を維持しているものの議席を減らしている)、それだけトランプの政権基盤そのものが安定を失うどころか、交渉相手のトランプが最悪いつまでもつか分からない、というリスクすら考慮しなくてはならなくなっていることだ。
ロシア疑惑での弾劾・辞任にまでは至らなくとも、1年半後には大統領選がある。トランプが二期目に立候補できるかどうかすらロシアゲート解明の進展次第では黄色信号が点りかねず、つまり金正恩はそれまでに米朝交渉を不可逆的なレベルまで進展させておかなくてはならない。
今回の会談のメディアに公開された部分で、金正恩が何度か「時間がない」「1分でも貴重」というような言葉を繰り返したのは、そんな率直な実感もあるのだろう。もちろん経済制裁の解除を急いでいる(制裁がそこまで効いている訳ではないとしても、国民が不満を抱かないためにも経済振興は一刻も早く始めたい)のもまた当然である一方で、大統領選挙が本格化するまでに少しでも交渉を進めておかなければ、これまでの努力が全て水泡に来してしまいかねないのだ。
むろんトランプにとってこそ、この公聴会は大きなダメージだった。疑惑やスキャンダルの追及から世論の目を逸らすためにも、対北朝鮮交渉の進展は大きな話題になるという目算も、この重要な首脳会談の真っ最中だというのにアメリカ世論の関心はもっぱらマイケル・コーエン公聴会に向いてしまい、肝心だったはずの米朝会談がトップ記事にすらならなかった。
これでは「成果」を焦って形だけの合意で支持層の期待を維持する選択は難しかっただろう。そもそもトランプ支持層は米朝交渉を「トランプがやっていること」だから支持しているだけで、本質的な認識ではボルトン大統領補佐官に近く、少なくとも潜在的には北朝鮮を「共産主義」と言うだけで敵視してもいる。
だがだからと言って、トランプがここで再び方針を元に戻して対北交渉を打ち切ったりすることはまずないだろうし、熱烈支持層もその判断は支持しないのではないか。なんと言っても北朝鮮との和解は、バラク・オバマ前政権ができなかった、結局なにもやらなかったのと正反対をやって自らの正しさを証明することになるし、オバマが口先だけの「核廃絶」の理想でで全く進めようとすらしなかった核軍縮でさえ、朝鮮半島という限定された地域とはいえ「非核化」を実行できるかも知れないのだ。「ノーベル平和賞」もあながちブラックジョークでは済まない。
記者会見でもトランプはわざわざオバマを持ち出し、「しかし前政権だけを非難するつもりはない。これまでの政権の全てが間違っていたのだ」とまで言い切った。つまりやる気は今でも満々なのだ。ただし支持層の中にはボルトンに代表されるような考えの者もいる中で、コーエン公聴会で政権基盤それ自体にヒビが入りかねない現状では、そこまで北朝鮮に「甘い顔」はできない、という判断で、今回は合意を見送って、もっと交渉が必要だ、という態度を取ったのだろう。
だがそうは言っても、今回結局は膠着に陥った状況を打開できるかどうかは、かなり難しいと言わざるを得ない。
寧辺の核施設の査察を伴う完全閉鎖だけでは納得できなかった、と会見で公言してしまった時点で、トランプは今後の交渉のハードルをあげてしまってもいる。ではこれからの交渉でアメリカ国内向けに世論を納得させられるだけの条件を北朝鮮から引き出せるかどうかは、「朝鮮戦争の正式な終結」も含め、さらには「朝鮮半島の完全な非核化」に不可欠な、現在北朝鮮全土を射程に収めているアメリカの核兵器(本来は中国と、それにロシアに対抗するための核武装)をどうするのかでも、中国を巻き込まないことには結局、中身のある合意にはなかなか到達できないはずだ。
実はなにが起こったのか?
今回は合意しないと決めれば話題性を最大にアピールする策略に出るのが、さすがはトランプ流ではある。わざと拡大会合が長引いたように見せて昼食会をキャンセルし、メディアが疑心暗鬼に陥ったところで合意文書署名のセレモニーのキャンセルと記者会見の前倒しを発表した。こうしてメディア側の焦燥感を否応なしに煽りまくった挙句に始まったトランプ自身の40数分間の「独演会」のような記者会見では、実のところなにが起こったのかさっぱり分からなかったし、その一方では珍しくポンペオ国務長官をあえて同席させて、今後数週間事務レベル交渉が続くことを明言させてもいる。
実のところなにが起こったのかは、見事に隠されている。トランプが語った合意に至らなかった理由そのものだけ聞くと「決裂」としか思えないのだが、それでもあくまで「今回は見送った」だけだと言うのだ。主語は「we」で、「アメリカ」を指すのか米朝双方を指すのかも曖昧だし、しかも金正恩との個人的な関係は良好だと強調し続けた。さらには帰国便の中からもわざわざ、金正恩と有益な時間を過ごしたとして、今後に期待を示したツイートも発信した。
またこの記者会見では、米韓軍事演習の今後についての質問に「金がかかり過ぎる」ので縮小ないし停止すべき、という持論も展開したし、一昨年に北朝鮮から意識不明のまま解放されて帰国直後に死亡した大学生オットー・ワームビア君の家族について尋ねられると、強制収容所や牢獄はひどいところだと言う一般論に終始し、北朝鮮の体制への批判すら通り一遍で、金正恩本人は知らなかったのではないか、と擁護までしてみせた。
李容浩・北朝鮮外相からの「我々は完全な制裁解除など求めていない」、求めたのは民生分野の、国民生活に関わる部分だけだという反論へのフォローも、さっそくアメリカ国務省から発信されている。トランプの記者会見の発言に「軍事以外のほとんどあらゆる」という形容を付け加えたのだ。なるほど、李外相が言った「完全」ではないとする具体項目は、この形容に結果としてほぼ合致する。つまり「非軍事分野のほぼ完全な」制裁解除という微調整で、双方の齟齬は実はなくなっている。
この制裁解除について、トランプは記者会見で国連安保理決議や、わざわざ日本の安倍首相の名をあげての「同盟国との信頼関係」もあげて、自分の独断ではできない判断だったことを滲ませている。だが軍事ではない分野での制裁の解除であれば、安保理の他の理事国や同盟国もいずれは説得できる大義名分になる。李容浩が言った通り、北朝鮮の国民生活に関わる部分であり、現実に石油輸入が9割以上減った深刻な影響が出始めていること、米が輸入できずに食糧危機のリスクも想定されていることも報道されている中では、そもそも制裁は決して北朝鮮国民を飢えさせることが目的ではないのだし、同盟国の説得も十分に可能だろう。いや日本の安倍政権だけは本気で餓死狙いの兵糧攻め目的で制裁している本音の部分はあるのだが、さすがに安倍がトランプに向かってそんな反論をできるはずもない。
極め付けでホワイトハウスのサンダース報道官が自らのインスタグラムで、両首脳の別れ際の挨拶の光景だとして、トランプの背中越しに満面の笑みで握手している金正恩の写真をアップしている。
一方の北朝鮮側でも、李容浩と崔善姫の「反論」会見(崔次官のあからさまに頑なな金正恩の心情「代弁」コメントを含む)の一方で、公式見解としては「労働新聞」では今回の会談が友好的に行われ、様々な課題について前向きの議論があった、とのみ大々的に報じ、合意に至らなかったことは触れられていない。「相変わらずの国内むけプロパガンダ」と言ってしまえばその通りだが、一方でこれは北朝鮮国民に向けて対米和解の方針が変わらないことをおおっぴらに表明した意味も持つ。崔善姫が言ったように本当に金正恩が「意欲を失って」いて、今後の交渉の継続がないのなら、国民向けプロパガンダであればこそ、金正恩の誠意をトランプが裏切ったという論調になっていなくてはおかしいのだ。
様々なメディアが今回の「決裂」について、金正恩がトランプの内政上の不安につけ込んで要求しすぎていたのか、甘めに見すぎたのでは、双方が根本的に考えが合わなかったのではないか、などと様々な憶測が飛び交っている。一方で客観的に事態の推移を見れば、拡大会合に予定になかったジョン・ボルトンが出席したことや、トランプが会見で北朝鮮側の最高機密でメディアも全く把握していない核施設をアメリカ政府が把握している(北朝鮮全土を「インチ単位で」監視している)ことをほのめかすなど、アメリカが突然、破談を狙って強硬な態度に転じたようにも見える。
だが実のところ、金正恩にとっては全くの想定外の展開とはいえ、双方それぞれに納得づくで、今回は文字通り「合意しないことで合意」した、というのが真相なのではないか。だから双方とも次の会談の予定はまだ出していなくとも、再会談は間違いなくあるし、それもそう遠い話ではなく、恐らく今年中だろう。金正恩としてはトランプの今の任期のうちに不可逆的なレベルでの合意を獲得しなければならないのは先述の通りだし、トランプも二期目を目指すためにはやはり、何としても北朝鮮問題でのそれなりの成果は必要だからだ。
なにしろ来年はアメリカ大統領選挙の年である。期限が限られていることも含めて米朝の利害を見抜いているであろう中国が、だからこそどう動くのか、あるいは今までと同様なにもしないのかが、やはり今後の大きな問題となるのだろう。
トランプと金正恩がどう習近平と向き合うのかに「朝鮮半島の非核化」実現が掛かっている
それにしても恐るべしは、中国・習近平である。米朝が今回合意に至れなかった最大の理由は、結局のところ「中国が何を考えているのか分からないから」なのだ。
シンガポールでの第一回米朝会談の前に、習近平は電撃訪中した金正恩に「朝鮮半島の非核化」に協力する旨の言質は与えていたはずだった。そして確かに、シンガポールの時には北京からの航空便を提供しているし、今回のハノイ会談では4000Kmに渡る列車での国内通過を許可し厚遇するポーズを見せた。つまり「米朝和解に協力している」と言う建前の姿勢だけはしっかり確保しながら、しかしもっとも肝心な「朝鮮戦争の終結」や「朝鮮半島の非核化」については、まったく動く気配すらない。
父・金正日の時代に、冷戦の終焉とソ連の崩壊の中で、北朝鮮は中国のいわば属国のような立場に甘んじることで生存を保って来た。金正恩が権力を継承してまずやろうとしたことのひとつはこの関係を解消して、北朝鮮の独立を取り戻すことだった。そこで中国は訪問せず、モランボン楽団の中国公演ではわざと国家プロパガンダ楽曲をプログラムに入れて中国当局に公演を拒否させるなどの露骨な反発パフォーマンスを続け、核実験とミサイル実験を繰り返すようになってからは、中国相手に激しい罵倒合戦まで展開していた。金正恩が発していたメッセージは明確だ。「我が国は中国の属国ではないし、言いなりにもならない」、これ以外にはない。平昌オリンピックへの参加を表明して文在寅との南北対話を始めてからでも、板門店宣言で朝鮮戦争の終戦を目指すと表明する際には、わざと中国を後回しに言及して牽制するニュアンスを文面に込めている。
こうしていわば北朝鮮の独立の姿勢を鮮明にした上で突然訪中した時にも、金正恩は歳上の習近平に敬意を示しながらも、あくまで対等な独立主権国家どうしの対話を演出しようしていたし、習近平はいかにも大人の外交らしい鷹揚さを見せて、金正恩が望む通りの態度で迎えていた。
朝鮮戦争が正式に終結して朝鮮半島情勢が安定することも、北朝鮮が核を放棄し、南北朝鮮が協力して半島の非核化を目指すこと(つまり、韓国がアメリカの「核の傘」に守られている現状を変えることも意味する)も、それ自体は中国の安全保障にとっても決して悪い話ではないのだから、金正恩が習近平の協力を取り付けられたと安心したとしても不思議はない。だがこれが、とんだ誤算だったのだ。
朝鮮戦争の正式終結すらまったく実現できる可能性が見えないままの状態が続く中で、気がつけば金正恩の北朝鮮はいつの間にか中国に依存していた父の時代の、元の属国的な立場に引き戻されつつある。たかが航空便の提供と専用列車の国内通過を許可した程度のことで、中国が再び北朝鮮の「後ろ盾」となり、実際には利害が一致して蜜月関係にある金正恩とトランプが、北朝鮮対アメリカと言う対立の図式で交渉を行なっているようにしか国際社会には見られない状態を、見事に作り出していしまっただけではない。トランプのアメリカに対しても、米朝和解に協力するかどうか、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島の非核化に参加するのかどうかを、アメリカからの妥協を引き出すカードとして使える立場さえ確保してしまっているのだ。
「合意しないことで合意」した後のこれから
今回のハノイ会談で「合意しないことに合意する」結果しか出せなかったのは、ほぼ間違いなくトランプ側が主導したものであり、直接の原因が中間選挙以降のトランプの政権基盤の不安定化にあるのも確かだろう。そして現状で形だけの(半ば以上、玉虫色の)合意に至るだけでは得策ではない、と考えるまでに追い詰められた形のトランプに、当初目論んだ通りには中国を動かせないままの金正恩も、同意せざるを得なくなったのだろう。
なんといっても金正恩としてもその意思は十分にある、と言うよりそれも計画のうちであるところの肝心の核放棄は、朝鮮戦争が法的に継続した「休戦」状態の現状のままでは、本格的に始めることすらできず、今のままでは見え透いたパフォーマンスめいた妥協の小出し程度しか切れるカードがない。
つまり今回の交渉が失敗に終わった真の理由は、米朝双方が中国に振り回される格好で、気がつけば身動きが取れなくなっていたことにあるのではないか。
普通に考えれば、朝鮮戦争の正式終結も、朝鮮半島の非核化も、中国にとっても様々なメリットが確かにあるし、大義名分としては立派で非の打ち所のない目標だからこそ、米・朝・韓三国に協力するポーズを取ることは必須だった。しかし一方で、習近平としては慌てて実現させる必然があることでもない、現状の維持でも損することはなにもないのだ。
北朝鮮がなけなしの核武装を進めれば理論上は中国もまたその核の射程に収まるのだから安全保障上のリスクにはなるというのも机上の空論の話でしかない。実際に北朝鮮が中国と戦争を始め、その核を中国を標的として発射することなぞ、現状の中朝関係ではまず想定に入らない。実は同じことは韓国にもアメリカにも日本にも言える(北朝鮮にはそのいずれの国とも、とてもではないが戦争ができるような国力はない)のだが、それでもこの三国は北の核に「万が一」の脅威を感じているのに対し、習近平にとっては「現実に起こるはずもない『万が一』の脅威」なぞ政治的優先順位は限りなく低く、だから慌てることはまったくないと考えているのではないか? ならば今の立場を徹底的に利用して、まずは政治的に得られるものはすべて確保しよう、と言うのがその戦略なのかも知れない。
これは中国共産党内の権力闘争を勝ち抜いてきた老獪な政治家ならではの自信なのだろう。あるいは習近平に限らず、中国それ自体の政治的伝統(今の共産党中国に限ったことではなく、皇帝たちの中華帝国の時代にまで遡る)の凄みなのかも知れない。
政治とは国益や経済、あるいは自らの政権の維持など、なんらかのプラグマティックな目標のために権力を行使するものだと考える新しい世代の政治家である金正恩や、元々がビジネスマンのドナルド・トランプには、習近平的な、あるいは中国的・中華帝国的な「政治」の意味を理解するのは難しいだろう。
「中国がなにを考えているのか分からない」のはある意味当然である。なんらかの具体的な利害に基づく判断で動いているわけではまったくないから、なのだ。今後どう動くのかも読めないのも、アメリカや北朝鮮がどう動くのかをまず見ていて、そこで両国の思い通りにはさせない、必ず中国が一定の発言権を持つ状況に持ち込むための動きを、相手の出方に応じて決めて行っているから、だろう。
習近平に限らず中国において政治とは力そのものであり、自らの力の及ぶ範囲や対象を広げ、そこに対する最大限の権力を行使できる力を持つことなのだ。あるいは中国のような「帝国」にとっての政治とは、権力とその行使できる範囲の拡張の、権威権力の自己目的化そのものなのだ。ここに近代主義的な合理主義の観点から文句を言っても通用はしまい。近代の西洋の進出以前の2000年以上のあいだ、中華帝国はこのやり方でアジアの秩序を保ちつつその中枢にあり続けたこともまた、歴史的な現実なのだ。
そしてそんな長い歴史に裏打ちされた強固な信念を確信している習近平「皇帝」の老獪なしたたかさには、トランプも金正恩もなかなか太刀打ちできないことが、この一年半ほどの朝鮮半島情勢の流れの中で鮮明になって来ている。
とはいっても二人とも、動かない中国の前に手をこまねいて形だけの合意を双方の間で繰り返すだけではもう通用しない、ということを今回の失敗で肝に銘じたはずだ。
さし当りの注目点は、帰国に再び列車を利用して中国国内4000kmを通過する金正恩が、その帰国途中に習近平に会うのかどうかと、表面上は「貿易戦争」つまり経済と産業がテーマの米朝交渉がトランプと習近平の直接対話以外に解決の糸口が見出せない現状の中、その首脳会談で極秘裏に北朝鮮についてはどんな議論や説得が交わされるのか、だろう。
北朝鮮の核放棄は中国次第で当分先延ばしで、日本外交はどうなるのか?
目が離せない状況は当分続くが、ひとつだけ日本人としては安心していいことがある。北の核実験もミサイル発射は今後もない。その現状が継続できるだけでも我々はとりあえず安全なのだから、ここは忍耐強く結果を待ちつつ、とりあえず暫定的にとはいえ「平和」が成立している現状のままでも「そんなに悪いことではない」と気づければ、冷静な状況分析とそれに基づく日本なりの方針を選び確定していく余裕は十分にある。
「いやそんなことはない、拉致問題の解決は」と言われるかも知れない。だがそもそも、その解決までトランプに代弁してもらって、トランプ頼みで解決を図ろうという日本政府の今の方針が、「虫が良すぎる」を通り越して独りよがりな国内引きこもりで、でまるで実現性の欠如したものでしかない。
それに安倍政権のあいだは「拉致問題」は国内向けに北朝鮮への敵意や朝鮮民族への差別意識を煽るプロパガンダの手段として利用するに過ぎず、最初から解決する気なぞ毛頭ない。考えても見て欲しい。北朝鮮が非核化を確約し、拉致問題も解決を見れば、日本が北朝鮮との国交正常化を拒否する大義名分はなにもなくなるのだ。
しかし安倍政権にとってはこの交渉こそが、始めることすらできない。植民地支配の清算と戦争・人道犯罪行為の謝罪と賠償は、日朝国交回復交渉のもっとも中心的な議題にならざるを得ないし、その交渉は世界の注目を集める。そこで日本が今の韓国に対して取っているような態度を見せれば、トランプのアメリカでさえ北朝鮮側につくし、国連では国連憲章の「旧敵国条項」の適用すら議論に上ってしまう。
いや韓国の文喜相・国会議長が言い続けているように、日本を代表して総理大臣が被害者の手を取って誠実に謝ればほぼ解決する問題でもあるのだが(文氏はずっと以前から「総理大臣が」と言い続けて持論としており、最近になって「今度退位される天皇」が付け加わったのは、今の総理大臣がまったくそのそぶりを見せてくれないからだろう)、安倍首相はそこから逃げ続けて国内引きこもりの「強気」ポーズに固執する以外の選択肢を持っていないらしい。
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