北朝鮮問題も吹っ飛ぶトランプの大暴挙、エルサレムのイスラエル首都承認で流動化する世界

エルサレムが「三つの宗教の聖地」とは?

エルサレム情勢が報じられる時、枕詞のようについて廻るのが「三つの宗教の聖地」だが、イスラム教の三大聖地のひとつアル・アクサー・モスク(以下「岩のドーム」)とユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」が隣接していることとなると、なぜか報道は遠慮がちになる。

このユダヤ教の聖地と一般には呼ばれがちな壁は、国際的には昨今の報道では宗教的な感傷性のついてまわる「嘆きの壁」ではなく、歴史学・考古学的に「神殿外壁」「第二神殿外壁」と言う場合が多い。本来の「聖地」はこの外壁ではなく、その中にあった神殿だ。

キリスト教でいう旧約聖書、ユダヤ人にとってはトーラーによる伝承によれば、エルサレムを首都とするユダヤ人統一王国を建てたダビデ王の息子ソロモン王が築いた神殿があったのがここで、モーセが神から与えられたと言われる十戒の刻まれた石板が櫃に収められて内陣に安置されていた(この十戒を収めた櫃が「聖櫃」、英語で「アーク」)。ソロモン王の建てた神殿はエルサレムがバビロニア帝国に征服されたときに破壊されたとされ、ユダヤ人のエリート層が捕虜生活を送ったバビロン捕囚を経て、パレスティナに戻って来てユダヤ人国家が再興されたときに再建された神殿の遺構がこの壁だとみなされている。

第二神殿は今度はローマ帝国支配下のユダヤ反乱でローマ軍に破壊され(ユダヤ戦争、紀元66~73年)、最後まで抵抗したユダヤ人たちはエルサレム郊外のメギドの丘に立て篭り、悲劇的な死を迎えた。この大事件を象徴的に表した新約聖書の「ヨハネの黙示録」では「ハルマゲドン」と呼ばれている。ユダヤ民族は国を失い、世界各地に離散していった。またこの時にはすでにユダヤ教の一派として成立していたであろう原始キリスト教もエルサレムの陥落を機に中近東各地、シリアなどに広がり、むしろ非ユダヤ人の信徒を増やし、やがてローマ帝国に食い込んでその国教となり、今日でもヨーロッパはキリスト教圏だ。

神殿外壁、つまり嘆きの壁がユダヤ教徒の聖地になったのは、時は下って7世紀にエルサレムがイスラム教の正統カリフ帝国の支配下に入ったとき、少数民族としてエルサレムやその周辺のパレスティナに住み続けていたユダヤ人が願い出て、礼拝の地として与えられたからだ。ソロモン王の神殿跡地に恐らくは建てられたであろう第二神殿の跡地は、この時にはムハンマドが昇天したイスラム教の聖地・岩のドームになっていて、その境内の外周となっていたうちローマ時代以前からそのままだろうとみなされた壁がユダヤ教の(便宜的な)聖地になったのだ。

「嘆きの壁」がユダヤ教の聖地なのではない

つまりイスラム教ではムハンマドがかつてユダヤ人たちが神を崇め、十戒を刻んだ聖櫃が安置されていたユダヤ教の聖地である神殿の跡地で神との直接対話のために昇天した、と考えられているので、岩のドームとかつてのユダヤ教の神殿跡地は位置的に重なるはずだ。

言い換えれば、エルサレムの帰属問題にイスラム教徒が敏感になるのは、ユダヤ教における本当の聖地であるエルサレム神殿が、岩のドームの建っている場所にあったからだ。しかもユダヤ極右勢力のなかには岩のドームをぶち壊してそこに第三神殿を建てるべきだ、という主張さえある。2000年から始まった第二次インティファーダのきっかけは、その第二神殿跡地である岩のドームにイスラエル右派政治家のアリエル・シャロンが入ったことだが、この時には岩のドームの下の大々的な考古学調査も問題になっていた(以前に近辺の発掘調査はある程度なされ、「嘆きの壁」の脇にある入り口からトンネルに入って見学できる)。

ちなみにもうお気づきだと思うが、アラビア語でアッラーつまりただ「神」と呼ばれるイスラム教徒の信じる神と、敬虔なユダヤ人にはその名を口にすることも畏れられ、母音のないヘブライ語表記をアルファベットに転記すれば「YHVH」となる神(「ヤハヴェ」と読むか「エホバ」と読むのかは、古代ヘブライ語には母音の表記がないので推測に過ぎない)は同じ神だし、イスラム教的には最後の預言者ムハンマドの前の、二番目に重要な預言者で、ユダヤ教的にはローマ帝国支配下に新興一派を創始した預言者ということになるはず(ただしそう認めるユダヤ教の宗派はないと思うが)なのがナザレ人、ナザレの大工とも呼ばれたイエスだ。つまりキリスト教ではイエスが神の息子であると同時に神そのものでもあるところの「天にまします我らが父」もまた同じ神で、アラブ人のキリスト教徒は単に「アッラー」と呼ぶ。

だからエルサレムは三つの宗教の聖地とされて来たわけで、どうせ歴史的・宗教的な複雑さを言うのであれば岩のドームがユダヤ神殿跡地であること、この地域が「神殿の丘」であり「嘆きの壁」ではなくこの丘がユダヤ教の最大の聖地であることになぜ言及しないのかは、よく分からない。

ただし1948年にイスラエルが建国されるまで、ユダヤ教とイスラム教のあいだでエルサレムを聖地として奪い合うようなことはなかった。岩のドームというか「神殿の丘」こそ渡さなかったものの、「嘆きの壁」をユダヤ人に与え続けたのはイスラム教徒の支配者たちだったし、コーランは同じ神とトーラー(ないし旧約聖書)という同じ聖典を共有するユダヤ教徒とキリスト教徒は尊重するように、と教えている。

歴史的に、イスラム教徒とユダヤ教徒の「聖地争い」はなかった

ちなみにエルサレムにおけるキリスト教の聖地は、イエスが処刑されたゴルゴダの丘の跡地とその墓が見つかったとされる聖墳墓教会だが、福音書の記述では城壁の外の郊外にあるはずなのが、なぜ城壁内・旧市街のキリスト教地区にあるのかはよく分からない。

もっとも、現在のエルサレム旧市街は紀元30年頃のイエスの時代のものではない。この時代の街はその40年後のユダヤ戦争でローマ軍に徹底的に破壊され、今の城壁や市街地は中世のものだ。こうした聖書などの記述や文献に基づく理解どころでは済まない複雑さが分かって来たのが現代の考古学調査の成果で、エルサレムには最低でも20以上の異なった時代の層が確認されている。

とはいえ聖墳墓教会には、考古学に基づく学術的な根拠はまったくない。このイエスの墓とされる場所を見つけたのはコプト教徒(エジプトを中心とする原始キリスト教に基づく宗派)だが、コプト教は現在この教会から追い出され、隣に修道院を構えていて一応トンネルでつながっている。聖墳墓教会の一階にあるイエスの墓とされるものは今はアルメニア正教が管理し、毎日時間を割り振って各宗派が礼拝を行い、十字架が立っていたとされる二階の礼拝堂はギリシャ正教、十字架から遺体が降ろされたとされる場所はカトリック、遺体が横たえられ清められたとされる一階の石はロシア正教のものだ。オスマン・トルコ帝国の仲介で各宗派がそれなりに折り合いをつけた割り振りだそうだが、第一次大戦後に英国の委任統治が始まると、この聖墳墓教会の主導権をめぐる宗派間のいさかいが絶えず、音を上げた英国の委任統治政府はアラブ人のイスラム教徒に教会全体の管理を任せたのだそうだ。今日でもフィリピン人のカトリックの巡礼が十字架が立っていた、つまりイエスが亡くなった場所でどうしても祈りたくて、ギリシャ正教の番人に殴られて追い出されるというような衝突は後を絶たない。

歴史は立場と視点を変えればまったく異なって見えて来るという教訓を理解するのに(というか理解するのがどれだけ難しいかを理解することに)、エルサレムほどの好例はない。だが「三つの宗教の聖地」だから紛争の火種と言うものの、オスマン・トルコ統治下ではそれなりに丸く収まっていた。先述の通り同じ神を崇拝し同じ聖典と信じる者を「啓典の民」として尊重するよう教えるコーランに従って、神殿外壁はユダヤ人の礼拝場所のままだったし、キリスト教の聖墳墓教会も認められ続けていた。

歴史上エルサレムで信仰が暴力で抑圧され脅威に晒されたのは、ローマ教皇庁が十字軍をカトリック諸国に呼びかけたときだけだ。単純に史実だけを客観視すれば、イスラム教徒を「暴力的で狂信的」とみなすのはずいぶん酷い偏見ではないか、とあえて指摘しておく。

今では「イスラム原理主義」ばかりが危険視されるが、「原理主義」のテロリズムが問題になったのもキリスト教原理主義が始まりで、1980年代にはパリでジャン=リュック・ゴダール監督の映画『マリア』を上映する映画館が放火されたり、映画『最後の誘惑』の監督マーティン・スコセッシに殺害予告が出されて世界を震撼させたこともあった。

あえてさらにしつこく言及するなら、アメリカなどのキリスト教福音派の原理主義は今でも同性愛や妊娠中絶に反対し、産婦人科医を殺害するような事件を起こし続けている。フランスで同性婚が完全合法化されたときには、パリのノートルダム寺院でカトリック原理主義者の神父が焼身自殺をはかった。自殺つまり神から与えられた命を棄てることこそカトリックでは最大の大罪だったはずなのだが、「原理主義」者こそ教義が教えるもっとも肝心な部分を無視しがちなのも特定の宗教・宗派に限ったことではないらしい。

いやだいたい、このYHVHないしアッラーないし「天にまします我らが父」を信ずる宗教のなかでも特にナザレ人イエスこそが、最も徹底した非暴力主義や反差別思想を唱えていたはずなのだが。

トランプ発言が根底から覆しかねない微妙な歴史的バランス

話をエルサレムに戻そう。衝撃と激怒を呼ぶトランプ演説の翌日、TBSの特派員がエルサレム旧市街のダマスカス門から入った通りで報じた生中継レポートの映像は、エルサレムを多少でも知っていればとてもショッキングなものだった。逆に言えばTBSの特派員はことの本質を、現地特派員の本来の役割に忠実に、もっとも鋭く理解していたとも言える。

ダマスカス門内はアラブ人イスラム教徒区域に属し、土産物店や骨董品屋や八百屋など一般商店が混在した、とても賑やかな通りだ。もともと旧市街でいちばん活気があるのがこのイスラム教徒区域で、多くの観光客の最大のお目当てはキリスト教徒地区の聖墳墓教会だが、狭い旧市街なのでお土産物はアラブ人街に寄って買う人が大多数だ。2000年から第二次インティファーダが始まって翌年には9.11も起こり、ヤセル・アラファトがラマラで軟禁状態になるなどの混乱で観光客が激減していた時ですら、ダマスカス門の通りでは土産物店も頑固に店を開け続けていた。

そこがシャッター街同然に閑散としている。さすがに暴力を恐れて店を閉じているわけではなく、トランプへの抗議のストライキをパレスティナ自治政府が呼びかけたから、というので少しだけ安心できた。ここが直接政治暴力に晒されるのは、一大事なのだ。門のすぐ外で事件が起きたことはあるが、アラブ人イスラム教徒地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区とアルメニア人地区が城壁に囲まれて隣り合わせの旧市街の中でだけは決定的な衝突は起こさないのが、もしかして不文律になっているのかも知れない。こうしたエルサレム独特の微妙なバランスの秩序で不完全ながらも維持されてきた共存のなかで、ダマスカス門の内側はアラブ人地区でもユダヤ人の住人も買い物に来るし、アメリカ人やヨーロッパから来た観光客が(彼らから見れば)エキゾチックな活気を楽しみながら買い物ができる場所だ。

トランプ発言はエルサレムから見れば、この微妙なバランスを根底からぶち壊すものだし、イスラエル国内で本気で支持する者はほとんどいないだろう。イスラエル政府は建前ではエルサレムを首都として政府官庁などをこの市内、それも1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)以降は「不可分の首都」の一部になった東エルサレムに置いてはいるが、これはあくまで建前で、イスラエルの実際の中心都市は地中海岸のテルアヴィヴだ。山の中になり港湾もなく、近くに空港もないエルサレムは、近代国家の首都として十分に機能を果たせる場所では必ずしもない。

ちなみに歴史的には事情はまったく異なる。エルサレムが中近東世界の重要都市だったのは、ただ宗教上の聖地だったからだけではない。例えば先ほど「ダマスカス門」という名前を出したので既にお気づきの読者も多かろうが、これは現代ではシリアの首都になっているダマスカスへの街道に直結する門だ。テルアヴィヴからエルサレムに行くと旧市街に入るのはヤッフォ門からになる。アラビア語から直訳すれば「南門」だが、本来は近代にテルアヴィヴが作られる遥か以前から大きな港があったヤッフォに直結する門だったものだ(20世紀にユダヤ入植者がヤッフォの北に作ったのがテルアヴィヴ)。

エルサレム、アラビア語ではアル=クドゥスは、かつては北アフリカ、エジプトとレヴァント地域(現代のシリア、イラク)や、アンマン(現代のヨルダンの首都)を経て紅海の港湾都市アカバもつなぐ、隊商路の要衝として商業で発達し、古い歴史もある文化都市として、アラブ人の都市のなかでもとくに貴族も多かったのだ。

最初はエルサレムを領有する気がなかったイスラエル

元から交通の要衝だったのがパレスティナ(ちなみに語源は「ペリシテ人の住む土地」、ペリシテ人は旧約聖書に登場する民族だが詳細は不明)だけに、この地域は古代から支配民族がたびたび入れ替わって来たし、ユダヤ民族の離散も、トーラー(旧約聖書)に「ルツ記」や「エステル記」のような異国が舞台の物語があるように、必ずしもローマ帝国によるユダヤ反乱の鎮圧が始まりではない。バビロニア帝国に征服された時にはエルサレムのユダヤ人エリート層がバビロンに連れ去られたこともあり、トーラー(旧約聖書)が今ある形で成立したのはこのバビロン捕囚の時だったと言うのが歴史学的な定説だ。

また交通の要衝であるエルサレムが商業都市であったことから、古代から多くのユダヤ人は中近東世界・地中海世界の各地に移住して交易拠点を持っていたのだろうし、イスラム帝国やオスマン・トルコ帝国の時代にも中近東の各地にユダヤ人コミュニティがあった。

それでも大多数がこの地域に住んでいたであろうユダヤ人が、今に至るように世界中に離散するきっかけは、やはりとくにヨーロッパのユダヤ人にとってはユダヤ反乱と、ローマ帝国によるエルサレムの破壊だったとみなされて来た。またこの戦乱がエルサレム神殿の神官の家系の出身でローマ皇帝に仕えてもいたヨセフス・フラヴィウスによって詳細に記録され、この『ユダヤ戦記』がヨーロッパ文学の古典として永らく読み継がれて来たことも、こうした歴史認識の大きな理由のひとつなのかも知れない。

当時のローマ帝国の支配領域の各地に離散したユダヤ人の子孫は混血を繰り返しながらも、教義的に異教徒を許容しないキリスト教世界となったヨーロッパで頑にユダヤ教の信仰を守り続け、こと中世以降は近代に至るまで差別と弾圧に耐えて頑固に生き延びて行った。いやもちろん、歴史的に無視されがちなだけで、実際にはキリスト教に改宗したユダヤ人も決して少なくなかったはずだ。たとえばスペイン美術を代表し世界史上最高の画家の1人とみなされるディエゴ・ヴェラスケスは、近年の研究で改宗ユダヤ教徒の息子だったことが判明している。それでも無視できない数のユダヤ人がヨーロッパで困難に耐えながらもキリスト教徒への同化を拒絶し、ユダヤ人であり続けて来たのは確かだ。

18世紀末のフランス革命と19世紀のナポレオン帝政をきっかけに、ヨーロッパを近代民族主義思想と国民国家理念が席巻すると、少数民族の異教徒であり続けて来たユダヤ人の立場はさらに微妙なものになった。その一方で差別や弾圧を生き延びる手段として(例えばカトリック教会は異教徒による不動産所有を禁じていたため、ユダヤ人は自作農になれなかった)商業や金融業、芸術、学問や法律に活路を見出す者が多かったユダヤ人にはインテリ層が多く、こうした最新思想を知的な思想として受け入れて、自分たちも民族自決権を獲得して自分たちの民族国家を持つべきだという理想主義が19世紀半ば以降次第に高まりを見せる。これがシオニズムと呼ばれる運動の起源で、「シオン」とはエルサレムの丘の一つだ。

ここは誤解を招きかねないのだが、「シオン」を冠したからといってシオニズムは宗教都市で聖地のエルサレムを取り戻すという運動ではなかった。むしろ地名をあえて冠したのは、ユダヤ教という宗教以外にユダヤ人のアイデンティティを見出そうとしたからだ。

18世紀の啓蒙思想を経たヨーロッパ近代における民族主義は、宗教の枠を離れて民族の土地と文化と言語にアイデンティティを見出すものだったし、一方でユダヤ人の場合は神がメシア(救世主)を遣わしてくれるまでは耐え忍ばなければならないというのが当時のユダヤ教の教義だった。シオニズムはその宗教の抑圧と抑制からユダヤ民族を解放して、ユダヤ人が自らの手で自らの運命を切り拓く自由と権利を取り戻して民族として自立しようという近代主義の運動だった。そのために宗教と切り離された文化を持ち、自分達の先祖の言語であるヘブライ語を宗教言語から日常言語に復活させ、民族の土地を得て民族の国家を樹立しようというのが本来のシオニズムで、19世紀の末に成立したときには当時最新のインテリ流行思想だった社会主義の影響も大きかった。

最大の問題はもちろん、最初からこの「民族の土地」にあった。歴史的にはエルサレムを中心とするパレスティナがそこだとするのがもっとも自然だろうが、そこにアラブ人が住んでいる。第一回シオニズム会議ではアラブ人の土地を奪うことに反対意見も少なくなく、中南米であるとかも議論されている。だが中南米にも人がいないわけではもちろんないし、なんの歴史的根拠もない場所よりは民族の祖先の地であるパレスティナ、という結論に落ち着く他なかったわけだが、それでもエルサレムはまずなによりもアラブ人の人口が密集した歴史都市であり、また近代主義思想のシオニズムには思想的に宗教的な「聖地」への関心が薄かったことから、「エルサレムを民族の首都に」については曖昧に済まされていた。そして実際に、初期のシオニストがまず移民したのはローマ時代には重要な港湾都市だったハイファであり、同じく港湾都市だったヤッフォの北の荒野に近代都市テルアヴィヴを建設し、またユダヤ人がキリスト教世界では原則許されなかった農民にもなるという理想から、各地で現地のアラブ人農村の協力も得て開拓村やキブーツ(集団農場)も作って行った。

1947年国連決議では、エルサレムはどちらにも帰属せず国際管理に

1930年代に入りナチス・ドイツが成立し、ヨーロッパ各地へと支配領域を拡大するとそこでユダヤ人への激しい弾圧が始まった。パレスティナに移民するユダヤ人は激増し、同時に初期移民の段階ではむしろ協力・友好関係が多かったアラブ人住民との関係(アラブ人には「啓典の民」を尊重しろというコーランの教義だけでなく、客人を歓待する文化もある)は目に見えて悪化して行き、暴力的な衝突も起こり始めた。当時のパレスティナは第一次大戦の敗北でオスマン・トルコ帝国が崩壊した後はイギリスの委任統治領になっており、第二次大戦が始まると、義勇軍としてイギリス軍に参加したユダヤ人も少なくなかった。このイギリスは、ユダヤ人にもアラブ人にも戦後に独立国の建国を約束する、という二枚舌外交を駆使して中近東における戦況を有利に運ぼうとしている。

第二次大戦が終わり、ナチスがユダヤ人を弾圧はしていたとまでは分かっていても、まさかそこまでという想像を超えた現実が連合国側や中立国側の国際社会、つまりは生まれたての国際連合に突きつけられた。ユダヤ人たちは人権を完全に剥奪され強制収容所に入れられ、その収容所の多くは大量殺人機能を持った絶滅収容所だったのだ。推計で一千二百万人前後はいたはずのヨーロッパのユダヤ人の約半数、六百万のユダヤ人がナチスによって命を奪われていた。ユダヤ人への同情論が国際世論で一気に高まり、1947年にパレスティナを分割し地中海岸を中心にユダヤ人の独立国を建国する、という国連決議が可決される。

だがこの時、エルサレムとその周辺はイスラエル領になっていない。歴史的・宗教的な背景の複雑さに鑑み、アラブ人国家にもユダヤ人国家にも属さない国際管理の自由都市、というのが国連決議におけるエルサレムの地位であり、ユダヤ人の一部には失望も当然あったろうが、独立・建国運動を主導していたデイヴィッド・ベン・グリオン(後の初代大統領)はこの国連案のエルサレムの扱いを支持し、エルサレムに固執するのは保守反動だ、と批判している。

ヨーロッパの都合の押しつけとしての1948年イスラエル建国への支持

ここでいくつか誤解を招きかねない点をクリアにしておこう。まずイスラエルの建国を主導したベン・グリオンや、後にパレスティナ和平を実現した首相となり1995年に暗殺されたイツハーク・ラビンらの、建国当時のシオニズム主流派は既に述べた通り非宗教(むしろユダヤ教否定ですらある)の左派の民族運動で、社会主義の影響が極めて強かった。その理念はユダヤ人が差別や弾圧に苦しむことなく自由で安全に生きられる近代的な理想の新国家の樹立で、同時にユダヤ人が土地のない流浪民族からいわば「完全な民族」に脱皮することも意味していた。

つまりユダヤ人が商業や金融や医者や弁護士や学者だけでなく、労働者となり農民にもなり、国として自足・自立することも目標であり、キブーツと呼ばれる集団農場が初期のイスラエル国家でも重要になったのもこうした思想に基づくものだ。完全に自足し自立した民族国家ということは、ユダヤ人が自分達の生命・生活とその国家を守るための兵士にもなる、ということも当然意味する。

当時のヨーロッパ文明が主導した世界の文脈で考えられる範囲ではほぼ完璧な理想主義にはしかし、大きな矛盾があった。ユダヤ人が自らの土地・文化・言語を持つ自足し自立した社会をパレスティナに築くのなら、ではアラブ人はどうなるのだ?

建国前のシオニズムでは、その共存は宗教を政治からの排除した相互尊重の理想主義で実現できると考えられ、運動の中核にあった労働党では「アラブ労働者との連帯共闘」も盛んに謳われた。また現実問題としてユダヤ人の開拓村や初期キブーツは農業の適地や水の確保でアラブ人の農村の協力を得て、アラブ人の側でも元から文化的にあった寛容性でそんなユダヤ人達を受け入れたし、聖書に立ち戻ればユダヤ人はヤコブの子孫でアラブ人はその弟イスマエルの子孫と伝わり、アラブ人とユダヤ人は人類学的にも同じセム系民族で、初期シオニズムがヘブライ語を日常言語として復活させる上で発音や文法規則の参考にしたのも同じセム系言語のアラビア語だった。理想主義にだけ基づくのであれば、共存は可能に思われ、また実際に建国が果たされた後でも、イスラエル憲法はその国家をユダヤ人とアラブ人の連合国家と規定している。

だがこれはすべて、あくまで20世紀初頭のヨーロッパ文明最先端の理想主義に基づけば、でしかない。

その理想に燃えた初期の移民・開拓はともかく、1930年代にナチスを逃れた移民が増えると、ヨーロッパ中心主義の植民地主義の色合いは強まって行った。ヨーロッパからのユダヤ移民が無意識にせよ自分達をより優れたヨーロッパ文明の一員とみなしていて、そのヨーロッパ的なものをパレスティナに再現しようとする欲望はたとえば建築デザインにも見られる。あえて厳しい言い方をすれば、単にユダヤ人の数が激増しただけでなく、アラブ人を野蛮とみなす差別性を棄てられないユダヤ人もまたパレスティナで増えて行ったであろうことも、1930年代に暴力的な衝突が始まった背景として決して無視できないだろう。

また当時のヨーロッパ的な民主主義の理想社会ということは、思想・言論の自由が尊重されなければならない。そうなると左派的な理想主義だけでなく、右派的で狭量でアラブ人に対し差別的にもなる古典的な愛国主義的な(つまり排外主義的な)思想もまた、ユダヤ人のなかで広まることにもなる。第二次大戦で連合国の勝利が確定すると、そうした傾向が強いユダヤ人右派レジスタンスのイルグンは委任統治の主体のイギリスに対するテロ事件を次々と起こすと同時に、アラブ人に対する暴力行為も目立つようになる。

こうした右派的で暴力的な運動は元々中近東に住み続けてアラブ社会のなかの少数民族だったユダヤ人から一定の支持を集めるようになり、またヨーロッパでホロコーストを生き延びて移民して来た人達の一部にも、共鳴者は決して少なくなかった。

イスラエル建国への支持には、ナチスの「ユダヤ人問題の最終解決策」の亡霊も関わっていた

1947年の国連決議に至った、ヨーロッパを中心としたユダヤ人への同情論もあた、そうそう人類愛的な理想だけで評価できるものではない。ホロコーストを主導したナチスは確かに断罪されたが、その支配下のヨーロッパで多くの人々がユダヤ人を密告したり弾圧に参加したり虐殺に加担したのは、決して単にナチスを恐れてやむを得ずだったでわけではないし、ナチスの唱えた「ユダヤ人問題の最終的解決策」も決してヒトラーがいきなり言い出したことではない。

中世以降、キリスト教が異教徒を排除する思想性を強めたヨーロッパでは、綿々と反ユダヤ主義の土壌が醸成されて来たのが実際だ。ホロコーストはその結果であって、ドイツに占領された国々の国民にもホロコーストについては共鳴する者が決して少なくなかったことへの反省はしかし、戦争の深い傷に悩みながら復興を目指すヨーロッパではほとんど不問に付された。

実態には多くのユダヤ人が、ナチスが怖いからではなく、それ以前までは差別はあってもなんとか共存はして来たヨーロッパ人をもはや信頼できなくなったからこそ、強制収容所から運良く解放された時に移民という選択肢を選んだ面が強い。またユダヤ人を移民としてパレスティナへと送り出したヨーロッパ側にとっては、生き残ったユダヤ人たちがホロコーストの非人道犯罪に実は自分たちも参加していた過去を思い起こさせもし、また彼ら自身が自分たちを糾弾もするであろう脅威にもなり得るので、その存在自体が不快になるから出て行って欲しいという、暗い感情もまたあったのだ。

パレスティナにユダヤ人国家が出来てヨーロッパのユダヤ人がそこに移民できるなら、それはナチスがユダヤ人を皆殺しにしようとしたよりは穏便なやり方ではあるものの、それでもナチスが目指した「ユダヤ人問題の最終的解決策」と同じような結果は期待できる。つまり目障りな少数民族ユダヤ人が、自分たちの身の回りから消えてなくなることだ。

こうして国連で決議されたパレスティナ分割とイスラエル建国は、アラブ人から見れば自分たちもまたようやく国際連合の掲げる理想でやっと民族自決権が保証されてヨーロッパ白人(キリスト教徒)の植民地主義から解放されるはずが、そのヨーロッパ白人の過ちのツケを自分たちに押し付けられたように見えたことだろう。

しかもそうして大挙してやって来たユダヤ人が初期の移民のように自分たちを尊重して自分達から学ぶ気も満々の、友好的な者ばかりであるのならともかく、そんな中近東の現実にはとても想像も及ばないユダヤ人も少なくなかったのだ。

しかもそれはある程度、無理からぬことでもある。ホロコーストを生き延びて深い絶望と人間不信の暗闇と苦痛の記憶を背負ったユダヤ人がイルグンのような暴力主義に染まることにもまた、人間的にやむを得ない限界はあった。それにそもそも、ホロコーストを生き延びたほとんどの移民は、安住の地となる民族の故郷(その中心が「聖地」エルサレム)にひたすら憧れ希望を託すのが精一杯で、その地のアラブ人と共存する事情の複雑さを理解するどころか、ほとんどなにも知らなかったのだ。

イスラエル独立戦争(第一次中東戦争)=ナクバ(大厄災)で、エルサレムこそが焦点に

1948年5月にイスラエルが独立を宣言すると同時に、アラブ連盟はその建国を許さずアラブの土地を取り返すことを大義名分に宣戦を布告し、パレスティナのアラブ人にユダヤ人支配に抵抗することと、その支配に甘んじることなく逃亡することを呼びかけた。もっとも、別にそんな呼びかけに応ずるまででもなく、戦争になれば普通の一般市民や農民が避難するのは当たり前だ。まして戦争の勃発と同時に、イルグンに襲撃された村が虐殺されたといった情報が飛び交っていた。こうして住民が避難したアラブ人の農村や町を、イスラエル政府は次々と「不在地主が所有権を放棄した不動産」とみなし接収して行った。

イスラエル側からみれば膨大な移民の居住場所が確保されその生存が保証されたことになるが、多くのパレスティナのアラブ人はこうしてそれまで生活して来た土地を奪われ流浪の境遇に追い込まれ、「自分の意志で逃げたのだから土地を放棄したのだろう」と一方的に決めつけられることになった。この1948年5~6月の数週間の激変を、パレスティナ人は「ナクバ」、アラビア語で大厄災と呼ぶ。またそれまでパレスティナのアラブ人であった人々が「パレスティナ人」と認識されるようになるになったのは、多くのパレスティナ人が故郷を失い、パレスティナ人が国を持たない民となったこの時からだ。

最大の激戦となったのが、かつてはヤッフォ港と通称交易の拠点エルサレムを結び、当時ではテルアヴィヴからエルサレムに向かう街道の攻防戦だった。双方に膨大な犠牲を出しながら(イスラエル側の戦死者にはホロコーストを生き延びたばかりの新移民も多かった)、イスラエルは最終的にエルサレムの西半分を占領、ヨルダンがその東半分を維持し、エルサレムは分断都市になった。

「エルサレムへの道」の激戦があったせいで国連で決議されていた国際管理案はまったくの絵に描いた餅になると同時に、その帰属がアラブ側、ユダヤ人側双方にとって心情的にどうしても外せない巨大な問題になってしまったのである。ことイスラエル国家にとって、それまで脱宗教の近代的で理知的な国家社会を目指してエルサレムへのこだわりを「保守反動」とすら言っていたのが、この都市をめぐって直接失われた多くの命と苦しい戦いの成果という、宗教上の「聖地」とはまた異なった意味を、エルサレムは持ってしまった。

ヨルダン側の名誉のために付け加えるなら、この時に旧市街も東エルサレムに属しヨルダンの統治下になったが、だからと言ってユダヤ人地区が追い出されたわけではない。「嘆きの壁」はユダヤ教の聖地のままだったし、ユダヤ人の多くが身の危険を感じてイスラエル領に引っ越したとはいえ法的には東エルサレムに住み続けることも出来たし、聖墳墓教会もそのままでその周囲にはアラブ人キリスト教徒が暮らし続け、オスマン・トルコ帝国の末期に大弾圧で故郷を失ったアルメニア人の居住地区もそのままだった。

1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)でイスラエルはシリア、エジプト、ヨルダン等のアラブ大連合軍の、イスラエル殲滅を狙った奇襲侵攻に反撃して大勝利を納め、エルサレムの残りの東半分のみならずヨルダン河までを占領し、その併合を宣言した(国際的な承認は得られていない)。その後オスロ合意でパレスティナ自治区、将来のパレスティナ独立国の領土と決まったヨルダン河西岸だ。エルサレムすべてを統治下に置いたイスラエルはそこを首都と定め、政府官庁をテルアヴィヴからエルサレムへ、それもこれ見よがしに特に新たな占領地である東エルサレムに次々と移して行った。

イスラエル国内では醒めた反応が大勢の「民族の悲願」の達成

それから50年、国際社会でどの国も認めて来なかったエルサレムをイスラエルの首都としたことを、アメリカ合衆国がついに承認してくれたからと言って、しかしイスラエル国内では「民族の悲願が達成された」などと喜ぶ声は、現地報道を見てもほとんどない。「喜んでいるのはビビ・ネタニヤフ(首相)だけ」、その理由も政権基盤が宗教極右過激派も含む極めて不安定な連立でもともとガタガタだった上に、ネタニヤフ本人に関わる汚職スキャンダルが取り沙汰されて辞任は免れないとまで言われていたのが、この大騒動で吹き飛んでしまったのはネタニヤフにとっては幸運だろう、という醒めきった見方が大方の反応だ。

まずそもそも、イスラエル人というのはそう易々と、政府が言ったことやその建前の大義名分を真に受ける国民ではない。日本と比較すれば正反対と言っていいほどで、日本人の感覚で即断するのは禁物というか、政府国家の都合に従順過ぎて疑問すら抱かないか、疑問を感じても懸命に押し殺してしまう点では日本人というのは国際的にはかなり異常というか、逆に理解しがたい民族だ。一方ユダヤ人には元から歴史的に培われた議論の伝統があり(敬虔な超正統派ユダヤ教でさえ、その礼拝所であるシナゴーグは祈りよりも喧々諤々の議論の場だ)自分の解釈や意見を論理立てて述べなければならない。ユダヤ人が2人集まれば意見が3つ闘わされるという比喩があるくらいで、理屈や現実に照らし合わせて納得できないものなら、相手が政府だろうが自己主張が優先される(その意味ではイスラエルは極度に民主主義の国である)。その上「ユダヤ人国家」とは言いながら、実態は世界各地でそれぞれに2000年近くのあいだ独自の文化を発展させて来た多様なユダヤ人の集合体が、ユダヤ人国家としてのイスラエルだ。元から意見がそう簡単に一致するわけがない。

さて、その当事者のイスラエル国民にしてみれば、まずアメリカが認めたからと言うだけではそもそも大きな意味はない。政治的、そしてとくに軍事的には、確かにアメリカはイスラエルの最大の後ろ盾であり続けて来たが、逆にアメリカしか後ろ盾がないのではイスラエル国民にとってはおもしろくもなんともなく、むしろ9.11以降は反米感情がイスラエルへの敵意に転化しがちなことに、相当にウンザリしてもいる。

個々の国民の生活や仕事のレベルでは、イスラエルそれ自体は小さな国でしかない(人口は市民権を持つアラブ人を含めて600万で、面積はパレスティナ自治区を含めても四国程度)からこそ外国との関係は常に重要だし、イスラエルのユダヤ人個々のルーツは20世紀に入ってからの移民が圧倒多数なだけに、ヨーロッパと中近東を中心に世界中に散らばっていて、ヨーロッパとの多重国籍者も多い。イスラエル国民が望んだわけでもないトランプの気まぐれ決定に、そのヨーロッパ諸国では圧倒的に反対の声が多いのだから、トランプと心中して国際的な孤立になるどころか、なんだかんだ言っても超大国のアメリカを孤立させるのは難しくとも、未だヨーロッパの多くの国にとってはたかがユダヤ人のたかが小国でしかないイスラエルを孤立させることは簡単だ。イスラエル国民にとってはそうして自国が孤立を深めることに、なんのメリットもない。

早い話がそのヨーロッパのどこかに親の実家があったり親戚がいるのが多くのイスラエル国民で、当然ながらその国を度々訪れたり行ったり来たりして、電話やメールやSNS上のやりとりも恒常的にやっているのだから、そこでトランプの暴挙についてとやかく言われるだけでもただただ徒労感しかないとしても、それは当たり前のことだ。

そしてより直接的に、このトランプの決定はイスラエルにとって安全保障上のリスクしかもたらさない。

2006年からヨルダン河西岸のパレスティナ人居住地を取り囲むように建てられ始めた分離壁の効果があったのか、イスラエル国内におけるテロ事件は激減し、南部では時折ガザ地区を押さえたハマスからのロケット砲の攻撃があるものの、生活は比較的安全になった。と同時に、パレスティナ自治区からイスラエル領内への出稼ぎ労働も激減し、イスラエル社会は不足する労働力をフィリピンであるとか中国であるとかアフリカからの出稼ぎに依存することにもなった。イスラエル市民権を持ちイスラエル国内に居住するイスラエル=アラブ人(それでも総人口の2割を超える無視できない数のはずだが)以外のパレスティナ人を見ることもほとんどなくなった結果、パレスティナ問題への関心自体が、大多数のイスラエル国民にとってはよくも悪くも薄れて来てもいる。

なのにいきなりアメリカの気まぐれでまたもや対立の火種をばらまかれることは、はっきり言えば迷惑でしかない。

イスラエル国内の「将来の見えなさ」に拍車をかけただけのトランプ

トランプの発表時には第三次インティファーダすら危惧され、西岸自治政府の与党であるファタハと、ガザを支配するハマスの、これまで対立関係にあった両者が団結して大民衆運動が組織されるのでは、という観測もあったが、今のところガザのハマスからのロケット攻撃は限定的で、西岸のパレスティナ人の非暴力デモもイスラエル軍治安部隊の暴力の強権で押さえ込まれている。ことヨルダン河西岸のパレスティナ自治区では、ネタニヤフ政権がこれまでもユダヤ人入植地の拡大を(国際社会の批判を無視して)強行し、その入植地も分離壁で守られることでパレスティナ人の多くが生活道路すら分断され、町や村に閉じ込められたような状態になっている。オスロ合意に至った第一次インティファーダや、2000年に始まってシャロン首相(当時)の分離壁の建設とガザからの撤退という判断に至った第二次インティファーダの時のような、大規模な民衆の連帯は困難になっているのかも知れないが、また西岸のパレスティナ人たちはこれまでの経験から、テロリズムや暴力による反撃には極めて自省的でもあるのかも知れない。。

だがそれでも、押さえつければ押さえつけるほど、いつそれがより大きな怒りの暴発につながるか分からないという、これまで大なり小なり(分離壁のおかげで)無視できて来た自分たちの所属国家のダークサイドの現実に、イスラエル国民がトランプ発言でいきなり直面させられたのは確かだ。そんなことを喜べるわけがないが、国家としては建前上は頑固に「エルサレムは我が国の不可分の首都」と言い続けて来たのだからポーズとしては歓迎しないわけにもいかない。このすべてが大多数の国民にとっては極めてバカバカしく、ウンザリさせられることにしかならないのは、建国から来年春で70年となるこの国の、そもそもの成立の契機であった彼らなりの理想主義が、社会のあらゆる層で完全に賞味期限切れになっているからでもある。

「ユダヤ人が平等で差別もされず抑圧されずに、自由で安全に生活できる国」の現実は常に敵国に囲まれ、パレスティナ人を抑圧して来たことで世界中から非難されて白い目で見られて来た。同じユダヤ人と言っても多様なルーツを持ち、自分の考えを持ち自分の意見をちゃんと言う議論の文化が伝統であるだけに国内で意見対立が絶えず政治的合意は常に中途半端な妥協の産物になってしまう。そんな政治の慢性的機能不全のなかで、極度の競争社会で格差も広がり、そしてユダヤ人どうしのあいだで出自に基づく差別もあり続けている。こうした日々直面する現実だけでもあまり幸福が実感できるものではない上に、その国家の将来には、常に暴力的な不安が潜在的につきまとっているのだ。

いや「不安」どころか、今世紀の半ばよりも前にイスラエル市民権を持つユダヤ人とアラブ人の数は逆転するであろうというかなり確度の高い試算も出ている。つまりユダヤ人国家としてのイスラエルには、そもそも未来がないことが確定しているのだ。

この試算にはさらに困ったおまけがある。ユダヤ人とアラブ人の人口比が逆転するのは、ユダヤ人の多くが平均的な先進国の生活をしていて、子供の数がだいたい2人だからだ。それに対しアラブ人は宗教的・文化的な理由もあって未だに子だくさんで、同じように子だくさんなイスラエルのユダヤ人といえばストレートに宗教上の理由で女性がいわば「産む機械」扱いの、宗教極右や宗教上の超正統派なのだ。

現状の、ほどほどに世俗的で教育水準も高く、パレスティナ人への扱いの問題を除けば女性の社会的な地位であるとかLBGTの権利や人種差別などについても現代の国際標準的な価値観を持った、いわゆる普通のイスラエル国民は、子供の数が少ないゆえにいずれ少数派になる運命なのだ。宗教勢力が社会の主導権を握るようになれば、相当な数のイスラエル国民が多重国籍のイスラエルではない方の国籍の国に逃げ出すことになりかねない。

トランプの今回の決定は、そんな普通のイスラエル人にとって、イスラエルをより暮らしにくい国にするものでしかないのだ。

当事者よりも「外野」の願望がものを言う、パレスティナ問題では毎度おなじみの展開

宗教右派や極右勢力には「聖地」であるエルサレムを首都とすることに強いこだわりがあるが、別にアメリカに認められたから嬉しい、となるわけがない。アメリカの軍事的後ろ盾が大きいからこそ、彼らは決してイスラエルをアメリカの属国に貶めたくはない。宗教上の超正統派に至っては、そもそもイスラエル国家の正当性を認めていない(教義上、この世俗ユダヤ人国家は神がメシアを遣わすことなく建国されたので、神に対する冒涜とみなされる)し、キリスト教徒のアメリカの大統領がなにを認めようが、そもそも彼らにとっては意味がない。

これがイスラエル国民ではない世界中のユダヤ人となると、話がまったく異なって来る。全世界のユダヤ人の人口はだいたい1200~300万で、つまり半数以上がイスラエル国民ではないユダヤ人になるが、そこには自分たちの民族の国イスラエルが自分たちがナチスに受けたのと同じような仕打ちをパレスティナ人に対して行っていると厳しく批判する者もいれば、そこまで厳しくはなくともイスラエルとパレスティナ人やアラブ世界との暴力的な関係を憂慮し平和を求める者もいて、これらのユダヤ人は当然、トランプの決定に猛反対している。また金融など国際ビジネスに関わるユダヤ人にとっても、この決定は世界経済や金融・証券マーケットの不安材料になる。

しかし一方で、当のイスラエルのユダヤ人がとっくの昔に幻滅しているイスラエル国家がそれでも表象しているある種の理想に、未だに大きな共感を寄せているユダヤ人が、アメリカを中心に少なくないのも事実だ。トランプがこの決定でアピールしようとした相手はまずこのユダヤ人層で、娘のイヴァンカ・トランプの夫で今では最重要の側近と目されるジャレッド・クシュナーがその代表的な例だ。だいたいこのジャレッド・クシュナーがトップになってトランプ政権が斬新な中東和平策を準備していると公約されて来た時点で不安しかなかったのが、この最悪としか思えない決定が、それも最悪のタイミングで出て来てしまったわけだ。

こうした一部の金持ち新自由主義者のユダヤ系アメリカ人の勘違いがまた、非常に厄介な問題をイスラエル国内にも持ち込んでいる。

ネタニヤフ政権でヨルダン河西岸のユダヤ人入植地が拡大しているのは先述の通りだが、これもTBSのニュースで、この現実の奥底にあるひとつの本質を突いたレポートが以前にあった。イスラエル、パレスティナ双方を取材して対立の原因を探る、というプログラムのなかで、入植地でインタビューに応じていたのがいかにも流暢な英語で喋る…というか思いっきりニューヨーク訛りでしかも相当に裕福そうな初老の男性が、プールつきの豪邸をバックに登場したのだ。本人はなかなか正直に語らず、自分はいかにもイスラエル人代表のような顔をしていたが、どうみても金持ちのユダヤ系アメリカ人によくありがちな勘違いで、愛国心のつもりで金にあかせて、分離壁を隔てたパレスティナ側には困窮した生活があるというのに、まったく無神経にプールつきの別荘で優雅に生活している。その入植地は恐らく近隣のパレスティナ人の村か町と水源を共有しているのだろうが、入植地に向かう水道パイプはパレスティナ側の水道よりも遥かに太いものが使われていたりして、だからこのアメリカ人氏は分離壁に守られたなかで、プールつき別荘のような家で優雅なヴァカンス生活だか引退生活を満喫できているわけだ。

ダマスカス門からのレポートにしても、この入植地でのインタビューにしても、このTBSの特派員は現場感覚が極めて優れているのだろう。ステレオタイプを排して非常に鋭く現状の問題の本質を突いた取材をしていることを高く評価したいが、残念ながら東京の本局は、そうした映像にこそ問題の本質を理解する鍵があると分かってないらしく、ほとんどの視聴者にとっては意味がよく分からない放映に終わってしまっていた感もある。

「外野」とも言い切れないアラブ側・イスラム諸国の、今回は賢明な反応

そもそもトランプの決定はエルサレムの地位を変更しようとする試みに該当し、過去の国連安保理決議に反する違法性も指摘できるし、現に安保理がその決議を下そうとしてアメリカの拒否権発動で阻止されたが、同内容の決議が国連総会で賛成135カ国反対わずか8カ国(アメリカ、イスラエル等)の圧倒多数で可決された。

採決に先立つ討論でトルコのエルドワン大統領などが激しい言葉でトランプを非難したし、折しも皇太子による事実上のクーデタが進行中のサウジアラビアの声明はいささか言葉遣いに留保は感じさせたものの、そのサウジも含めてアラブ諸国やイスラム教国のうち親米とみなされる国も、エジプトのようにアメリカの後盾で維持されているような政権でさえ、決議案に賛成しアメリカを批判している。

またこの国連決議を押し進めた国々は、文言に工夫してアメリカを名指しはしないことで、対米従属・トランプへの媚び売りがほとんど国是となっている安倍政権の日本でさえ賛成できるようにしていた。

このアラブ、イスラム諸国の賢明な対応に、トランプ大統領は感謝すべきだ。こうした政治的ジェスチャーがなければ、いつイスラム国やアルカイーダの細胞や、そこに触発された個人による大規模反米テロが起こってもおかしくないのだ。

国連決議の形で多くの国が国家としてアメリカの過ちを糾す格好を演出できたことで、テロリストやテロ組織がアメリカにいわば「天誅」を加える必然も多少は減じたのだ。いわばエルドワンたちはアメリカをテロから守ってくれたのであり、むろん言うまでもなく、こうして国としてはっきりとトランプにノーを突きつけなければ、それらの国々の政権の対米従属姿勢が今度は国内世論からの猛烈な突き上げを受け、テロの対象にすらなりかねなかっただろう。程度の度合いこそ異なるものの、フランスのように人口の1割がすでにイスラム教徒だったり、アラブ諸国や中近東からの移民や難民を多く抱えるヨーロッパの国々にも、同じようなことが言える。

イスラム教徒がこのアメリカの決定に怒りや危機感を覚えるのは、これまでのいわば伝統的な(言い替えれば惰性であり建前とも言える)反イスラエル感情とは別次元のものだろう。まず宗教的な理由からも当然の反発で、さすがに客観的にはあまりに出来の悪い冗談レベルのトンデモ主張とはいえ、世界のユダヤ人極右の中にはユダヤ教本来の至聖地であるソロモン神殿・第二神殿の跡地に立つ岩のドームを破壊して第三神殿を、という運動さえあるのは、本稿の冒頭で述べた通りだ。

ただでさえエルサレムの帰属は単にイスラエル=パレスティナ間の問題では済まない上に、トランプは白人至上主義勢力の支援も受けて当選した大統領で、イスラム教徒が多数派の国からの入国を制限しようとする大統領令が違憲判決を受けるなど、ムスリムに対する差別感情をかなり露骨に表明して来た。そのトランプが今度はエルサレムをイスラエルのものだと承認した先には、岩のドームがある「神殿の丘」はムスリムではなくユダヤ人のものだとまで、なにしろトランプなのだから言い出しかねないかも知れない。

そうでなくても9.11以降、アメリカはあまりにイスラム教徒を馬鹿にし過ぎ来てはいないだろうか? 「アラブの春」でエジプトの民主化運動を支持しておきながら、いざ反植民地主義で貧困救済に実績がある政党が選挙に勝てば、イスラム原理主義のレッテル貼りで正統に選挙で選ばれたその政権を倒して軍事独裁を復活させたのもアメリカだ。

そんなアメリカにたとえばイラク戦争開戦時には極めて冷笑的だったフランスのようなヨーロッパ諸国でさえ、今や人道的な保護が必要なはずのシリア難民に人種差別的な憎悪が向けられ、白人至上主義のネオナチ政党が政治的地位を獲得しつつある国も少なくない。欧米の有識者とされる層からでさえ、キリスト教圏対イスラム諸国の「文明の対立」が起こるかのような極端に単純化され無自覚に差別的な暴論が飛び出して一定の支持を受けているなか、アメリカやヨーロッパの白人層はあたかもイスラム教徒が自分たちに向けている悪意から身を守らなければならない的な思い込みに囚われているが、イスラム教徒から見てどころか第三者的に客観的に見ても、これは話がまったく逆だ。

アメリカ人は根本からして荒唐無稽な動機を棄てて、現実に立ち返るべき

それにしてもよく考えれば奇妙な話だ。トランプがエルサレムをイスラエルの首都として承認するのは、中近東の現実を無視して大統領選の公約を実行に移し、既存のアメリカ政治との違いを強調したい国内向けアピール目当てだという分析はその通りなのだろうが、いかにアメリカのユダヤ人極右の典型のようなジャレッド・クシュナーが側近とはいえ、エルサレムをユダヤ人だけのものにしようという意味になりかねないこの決定で、アメリカ国内でどれほどの支持を得られるのだろうか? しょせんユダヤ人はアメリカでさえごく一部の少数民族でしかなく、トランプの手法が白人至上主義ポピュリズムであるのなら、人数的には少ないユダヤ人がある種のエリート層を形成してもいると同時に、だからこそアメリカにおいてもポピュリズム的な白人至上主義が宗教保守と密接に結びつき、永らく反ユダヤ主義を主張しても来た。

たとえばトランプが敵視するメディア産業も、ユダヤ人が非常に多い業種だ。アメリカの宗教保守がハリウッドの映画産業をユダヤ人がアメリカ人の道徳観を堕落させようとしていると攻撃したことも度々あった。先に例を挙げた映画『最後の誘惑』の場合も、配給を手がけたユニバーサル映画の当時の親会社MCAの社長がユダヤ人だったことも攻撃の理由だった。

だいたい歴史的には、イスラム教徒の支配者は代々エルサレムにおいてキリスト教徒の信仰を認め保護もして来たが、エルサレムがユダヤ人のもの、それもキリスト教を神との契約をねじ曲げた異端の邪教とみなすユダヤ教右派や超正統派の支配下になってしまえば、聖墳墓教会の維持だって危うくなりかねないのではないか?

しかもイスラエルとパレスティナの対立で言えば、パレスティナ人の10%はイスラム教徒ではなくキリスト教徒だ。たとえばトランプの決定に抗議する激しいデモが起こってイスラエルの治安部隊による鎮圧で死者も出たベツレヘムは言うまでもなくキリスト教でイエスの出生地とされ、パレスティナ人キリスト教徒が多数派の町だし、エルサレム旧市街のキリスト教地区も住民のほとんどがパレスティナ人のキリスト教徒だ。

なんとも奇妙な話だ。アメリカ共和党の無視できない支持勢力である草の根キリスト教保守が宗教上の理由で連帯すべきなのは彼らキリスト教徒のアラブ人のはずで、つまりはイスラエル政府よりもパレスティナ人を支持しなければ筋が通らないのではないか?

ひとつの推測は、そうしたアメリカ国内の敬虔で保守的なキリスト教徒、とくに福音派はとにかく無知で、アラブ人にはキリスト教徒もいることも知らず、肌の色が違うアラブ人(ちなみに英語の差別的俗語では「サンド・ニガー」つまり「砂(砂漠)の黒人」)にただ人種差別の偏見と誤解の憎悪を向けているだけなのではないか、ということだ。

エルサレムをイスラエルのものとしたがるのは「世界最終戦争」期待から?

だがどうもそんな単純な話ではないらしい。福音派は世界の終末と神の最後の審判、そして神の王国の到来が近いという教義を持ち、そのためにはまず世界最終戦争、ハルマゲドンが起こるのだそうだ。そのハルマゲドンの始まりとなるのが、ユダヤ人がエルサレムを支配下に置き、そこで戦争が起こってエルサレムが異教徒(と言ったってイスラム教徒が信じているのは同じ「神」だ)に破壊されることらしい。だから福音派はエルサレムが完全にイスラエルのものとなることを切望していて、だからアメリカによるエルサレムのイスラエル首都認定を熱く支持するのだという。

要するに新約聖書の「ヨハネの黙示録」を未来を予見した預言とみなした強引な独自解釈なわけだが、この聖典は普通に読めば、ローマ帝国によるユダヤ反乱の鎮圧とエルサレム陥落の前後に、当時の原始キリスト教徒(ないしユダヤ教の一派としてのイエスの弟子集団の系譜)が見た現実を象徴的に表現したもので、たとえば「バビロンの大淫婦」は直接の名指しは弾圧を恐れて出来なかったローマ帝国を指す。

原始キリスト教そのものが終末思想の宗教だった。福音書でもイエスの説教でしばしば言及される「神の王国」は、その説教の時点でほんとうに間もなく起こることだと信じられていたように読める。リアルタイムの弟子や信者たちにはイエスが磔刑で処刑されること自体にその終末を期待していた節もあり、ユダヤ戦争はその死から約30~40年後(イエスの死は紀元30年頃と推計される)の出来事で、紀元66年に勃発し、ローマ帝国軍がエルサレムを破壊し、最後の反乱ユダヤ人たちがメギドの丘に立て篭って事実上の集団自決で亡くなったハルマゲドンは同73年だ。

この「メギド」が「ハルマゲドン」の語源だ。黙示録の作者たちはこれだけの悲劇なのだから世界の終わりが来なければおかしいとみなし、今度こそ神の正義が地上に具現するのを期待したのがその記述なのだろうし、またそう信じたいだけの切迫した事情が、当時のパレスティナには明らかにあった。福音書を読んでもイエスが説く非暴力主義や愛や平等は、ローマ帝国支配下に当時のパレスティナのユダヤ人たちがいかに苦しみ、またそのユダヤ人たちの心もいかに荒んでいたかの裏返しだ。たとえば善きサマリア人の寓話はユダヤ人による差別を諌めるものだし、イエスの弟子集団の多くがガリラヤの出身で、この地方は当時のユダヤ人社会内で差別される立場だった。そうした背景もあったからこそ、イエスはあえてユダヤ教の至聖地であったエルサレムの神殿にいわば殴り込みをかけてまで、神官たちなどユダヤ教主流派を激しく糾弾したのだろう。

福音派の黙示録の解釈はあまりに荒唐無稽かつ恣意的で、いったい新約聖書のなにを読んでいるのか、率直に言って頭を抱えるし、もう一方の荒唐無稽な暴論である「岩のドームを叩き壊して『神殿の丘』に第三神殿を」も併せて、こんな悪ふざけとしか思えないメチャクチャな自己満足のためにエルサレムの帰属がにわかに世界情勢の台風の目になって大混乱と大変な暴力の脅威すら引き起こし、当のエルサレムに暮らす人々の現実の生活を覆そうとしているのだとすれば、当事者ならずとも腹立たしい限りだ。

とりあえずアメリカの福音派には、ベツレヘムの抗議運動の暴力的鎮圧で命を落としたのも、あなた方と同じキリスト教徒なのだ、とは教えてやった方がよいのではないか? 「アラブ人だから」というのなら、あなた方が「主」と信じるイエスは「善きサマリア人」の寓話でなにを語っていたのか?「黙示録」にしても人が生きるべき道についてなにを伝えているのか、少しは真面目に考えてもらいたい。福音派の信者たち自体はアメリカの田舎の、素朴で善良な人たちも多いかもしれない。だがその一人一人は善良であるはずの人たちがなぜ、「アメリカ」という巨大国家の一部となるとかくも邪悪な身勝手に染まってしまうのだろう?

エルサレム帰属問題が引き起こした混乱は、もう「雨降って地固まる」を期待するしかない

今のところ「世界最終戦争」の滑稽過ぎる荒唐無稽のような暴力的な混乱は、イスラエル軍の暴力にも関わらず、賢明に避けられて来ている。国連決議に対してもトランプやヘイリー国連大使はあまりに子供じみた脅しを口にして恥をかいただけで、本気で世界各地の貧しい国々への支援を打ち切るなどという真似はあまりにリスクが大き過ぎておよそ出来はしまい。

だがトランプ政権の今回の決定が国内アピールのための口先だけで、東エルサレムへの在イスラエル米大使館の移転を先延ばしにし続けるとしても(ちなみにイスラエル政府が準備した土地はすでにあるし、エルサレムに領事館はあるので、看板の架け替えだけでも大使館の移転は明日にでもできる)、アメリカへの不信が高まることと、アメリカの国際的な地位の低下は避けられない。

だがそれはそれで、やむを得ないというか、むしろ長期的にはいいことなのかも知れない。まずイスラエルはいいかげんに軍事的にアメリカに依存して安保理でのアメリカの拒否権発動に期待するだけの現状を再考しないことには、国と社会の未来がかえって危ぶまれる。アメリカの後ろ盾に依存することのないアラブ諸国やとくにパレスティナとの共存のための真剣の対話は、イツハーク・ラビンが和平を打ち出した20年以上前の時点でとっくに始めておかなければならないものだった。

アメリカ人は自分たちが世界で最も豊かな国で、世界最大の軍事力を持つが故に、その地位について自覚的で自省的でなければいつでも無自覚なまま邪悪に転落しかねないことに、どうもまったく自覚がないらしい。このトランプの「アメリカ・ファースト」の気まぐれな身勝手が引き起こした混乱が、少しでもアメリカ人たちがそこに気付く契機になれば、まだ少しだけ救いはある。

そんな無自覚な邪悪の具体例は、たとえば既に述べたヨルダン河西岸の入植地でTBSのインタビューに応えたユダヤ系アメリカ人氏の無神経な独善だろうが、実はこうしたアメリカ的鈍感さの無自覚な横暴には、さらなる複雑な広がりがある。

話をさらに、やはりTBSの特派員がトランプ演説直後のレポートを発信したダマスカス門の内側の商店街にまで戻そう。この生中継レポートの時、本来なら賑やかなこの通りの商店は、軒並み抗議のストライキで閉店していた。エルサレム帰属問題の今後の進展によっては、暴力的な襲撃や略奪を恐れて店を開けられなくもなるかも知れないし、どっちにしろこの混乱でエルサレムを訪れる観光客は減るだろう。そうやって彼らのエルサレムでの商売が難しくなれば、税金も払えなくなる。そうしたパレスティナ人の家や土地は、既に東エルサレムや旧市街で次々とイスラエル政府に差し押さえられて来ている。差し押さえられた不動産物件は競売にかけられ、潤沢な資金で落札するのはたいがい「愛国的」な「民族精神」の勘違いに囚われた、ジャレッド・クシュナーの同類というか同志というかお仲間的なユダヤ系のアメリカ人である。こうした金の力でも、パレスティナ人たちは東エルサレムから少しずつ追い出されて行く。

こんなやり方を続けることで、イスラエルが「ユダヤ人が平等で差別もされず抑圧されずに、自由で安全に生活できる国」になれるかどうかは甚だ疑問なのだが、アメリカ人の妙に無邪気な無自覚さには、こう言った現実的な想像力をどんどん欠如させて行ってしまう奇妙な文化的DNAでもあるのだろうか?

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