昔はあったアラブ人とユダヤ人の共生
開かれた土地としての中近東の歴史
イスラエルの反体制映画作家アヴィ・モグラビ監督が、原一男監督主催NewCinema塾の招きで来日し、8月22日と23日の二日間に渡って上映と討論の会が、渋谷の映画美学校とお茶の水のアテネ・フランセ文化センターで行われた。上映作品は22日が最新作で昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の招待作品『庭園に入れば』(主催は山形国際ドキュメンタリー映画祭)、23日がより時系列で作家の全体像を明らかにすべく、1999年の『ハッピー・バースデー Mr.モグラビ』(撮影は98年)とビデオアート作品『アット・ザ・バック』、そして2002年の『八月 爆発の前に』(撮影は2000年)。
必ず自分自身が登場し、しばしばキャメラの前で自作自演の「自分(ただし内容はたいがいフィクション)」を演じるのが、これまでのモグラビ作品の特徴だったが、『庭園に入れば』ではパレスティナ人のアリ・アル=アザーリがもう一人の主人公。1948年のイスラエル建国時に4歳で産まれた村を追われ、イスラエル国籍を持ちながら自分の国の中での難民として生き続けて来た友人でありアラビア語の先生と、映画作家自身の対話から、対立と紛争の歴史からはなかなか見えて来ない、イスラエル建国以前にあったアラブ人とユダヤ人の共生と、開かれた土地としての中近東の歴史が明らかになる。
「ガザの一部もかつての広島のようにすべてが破壊」
モグラビ自身の家系が、ダマスカスからベイルートを経て、テルアヴィヴに移って商売始めた一族、アラブ系のユダヤ人で、当時の言葉もアラビア語だった。実のところアリ・アル=アザーリとモグラビが並んで写っていると、どちらがユダヤ人でどちらがアラブ人か分からなくなる。さらにアリがユダヤ人女性と結婚してもうけた娘の、9歳のヤスミンも登場し、映画はアリが今は立ち入れない失われた故郷(ユダヤ人向けの住宅地になっている)に旅することでクライマックスを迎える。
友愛と共生の映画であり、ちょうど撮影時にはアラブの春のエジプト革命が起こっていてアラブ民主主義の未来に期待を膨らますアリの姿と、過去の共生の歴史の確かな痕跡、そして際どいブラック・ジョークを交わす二人の確かな友情が、この映画をとても心温まる作品にしていると同時に、この友情の背景にある歴史の文脈はとても重い、双方の立場がなかなか折り合いがつかないほど複雑なものだ。
アリはモグラビにこう打ち明ける「被害者の息子であることはある意味楽だが、加害者の息子だったとしたら、私には耐えられるかどうか自信がない」。上映後の質疑応答では、ユダヤ人が2000年の差別迫害に耐えたことを挙げれば被害者だと言えるかも知れないとしても、パレスティナ人にとっては加害者であることからは逃げられない一方で、勝者として楽もしていることに触れつつ、日本についても話が及んだ。「日本は第二次大戦という同じ戦争で、最初は加害者であったがもっとも悲惨な被害者にもなった。日本人は加害者の子孫であることと被害者の子孫であることのどちらでも選べる。さてではあなたは、そのどちらを選ぶのか?」
そう語るモグラビは、東京の前に三日間広島に滞在していた。まだこのまま治まるかどうか展望が見えないガザの状況については「もちろん通常爆撃と原爆では破壊の規模を含めて比較していいことではない。しかしガザの一部も、かつての広島のようにすべてが破壊された場所になってしまった。そしてその両方の背後にある、病んだ人間の心は同じものだ」とも語った。
映画作りとは自由であろうとする努力を怠らないこと
翌日は『ゆきゆきて、神軍』『極私的エロス・恋歌1974』の、日本を代表するドキュメンタリー映画作家・原一男監督の招きによるNewCinema塾のシリーズの一貫で、まずイスラエル建国50周年の私的な記念作品である『ハッピー・バースデーMr.モグラビ』について、「同じ歴史的出来事でも、視点が異なれば異なった物語しか語れない」ことをテーマに議論が展開した。イスラエルにとっての建国のお祝いは、パレスティナ人にとっては「ナクバ(大災厄)」、故郷喪失の50周年になる。映画のなかのモグラビは、建国50年記念についての映画を準備しながら、その一方でパレスティナ自治政府の公共テレビに、イスラエル領内にあるかつてのパレスティナ人の生活の痕跡を撮影するよう依頼を受けてしまう。こうして同じ歴史的事件についての異なった歴史的物語が、アヴィ・モグラビという個人のなかで混沌と混じり合って行く一方で、その主人公は自宅の敷地を巡る登記簿のミスの土地争いに巻き込まれてしまう。
そうした設定がすべてフィクションであることを明かしながら、原一男とモグラビの議論はドキュメンタリー映画における事実とフィクション、あえてフィクション性を導入することでより深い真実を語ること、そして映画で事実を元になにかを語ることそれ自体の問題意識に話が進んだ。ドキュメンタリーを客観的に「事実」だと確認できることにだけ構成要素を限定し、どれだけ現実に忠実にあろうとしても、自分が見た事実に関する情報を自分の価値観で重要性を判断し、自分の解釈による物語構成を作り出さなければ、「事実」を語ったり伝えたりすることは出来ない。モグラビにとって自分の姿を自分の映画で曝け出すことは、その物語を語っている主体の正体を客観的に観客の前に曝け出すことでもあり、それは常に身近な、対立する(自分達の「犠牲者」でもある)他者であるパレスティナ人から見た場合の同じ出来事についての物語を常に意識すべきであるイスラエルの映画作家として、とりわけ自覚的でなければならない。
自分という存在は、しょせん自分の側の物語しか語ることが出来ないと同時に、その自分が自分であることに最大限に自由であろうとすれば、それは自由な表現としてより真実に近づくことを可能にするかも知れない。映画作りとはその自由であろうとする努力を怠らないことだ、という点で二人の映画作家の意見は一致した。
相手側から見た物語にもっと心を開くことは
出来るのではないでしょうか-日中韓関係
『ハッピー・バースデーMr.モグラビ』では、イスラエル側とパレスティナ側の双方のプロデューサーを、それぞれに有名なプロデューサーが演じるなど、現実とフィクション部分の境界は曖昧になっているし、フィクションのはずの部分の撮影にも現実の出来事までどんどん介入して来るが、『八月』ではフィクション部分は徹底した不条理コメディで、作り事であることがはっきり分かる。その戦略について「海外にも分かり易く極端なドタバタも導入したのか?」という問いに対し、モグラビは「むしろ逆で、イスラエル人によく分かるようにしたかった」と語った。「私自身がイスラエル社会の持っているヒステリックさや不条理さの一部です。だから自分でそれを滑稽で誇張されたものとして演じるべきだと思った。ラストの熱狂と性的なエクスタシーの盛り上がりはちょっとやり過ぎかも。今自分で見てもまだ笑ってしまいます」
原一男監督の今回のNewCinema塾のテーマは「セルフ・ドキュメンタリー」、自分や身近な家族の出来事を撮るドキュメンタリーがテーマだが、大学や美術学校で映画作りを教えてもいるモグラビは、自分がやっているような自分を撮るドキュメンタリーを学生には教えないという。教えているのはダイレクト・シネマ、直接現実を撮るドキュメンタリー。「現実を出発点にしない映画は、私にとってはつまらない」とモグラビは語り、強い影響を受けた原一男の映画についての賞賛を惜しず、討論終了後には「今度は私が原さんに『ゆきゆきて、神軍』をどうやって作ったのか根掘り葉掘り聞きたいです」と言っていた。
イスラエルとパレスティナの展望が見えない対立を前提にしつつ共生、相手側の物語を受け入れることを根気づよく語り続けたモグラビは、日本と中国、日本と韓国の歴史問題での対立について、「私はよくは知らないのですが」と前置きしつつ、こう語った。
「イスラエルとパレスティナは、双方が同じ土地を故郷であり生活の場とみなしているから、妥協や解決はもの凄く難しい。日本と中国や韓国の場合、そういった生活や生存の必然とは直接関係がない対立でしょう。ならば相手の言うこと、相手側から見た物語にもっと心を開くことは出来るのではないでしょうか?」
「第二次大戦は人類にとって本当に悲惨な体験でしたが、その結果として出て来たいいことのひとつは、攻撃的な、戦争を好む国家だった日本が、平和主義の国に生まれ変わったことです。それが日本に限らず、全世界にとって大きな意味を持っていることに、日本人はもっと気づいた方がいいのかも知れません」
インフォメーション
※ 『庭園に入れば』昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の招待作品で、10月中旬から開催予定のドキュメンタリー・ドリーム・ショー 山形in東京2014で上映されます。http://cinematrix.jp/
※ 原一男主催NewCinema塾は毎月第4土曜日12時20分~ アテネ・フランセ文化センターにて。9月は中国から呉文光監督と章梦奇監督を招き、上映作品は『治療』(呉文光、2010年)と『三人の女性の自画像』(章梦奇、2010年)。http://newcinemajuku.net/curriculum/
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