7月31日、日印原子力協定の調印を目指すインドのモディ首相の来日を控えた東京で、核軍縮平和連合(インド)の主任研究員のクマール・スンダーラームさんが、東京の外国特派員協会にて日印原子力協定の問題点について会見を行った。
今年の1月に安倍総理がインドを訪問した際、インド各地で日本の原発輸出に反対するデモが起き、彼らから安倍総理は「インドへようこそ、だけど核はお断り」というスローガンで迎えられた。インドには力強い草の根の反核運動があり、運動に参加している人々の多くは、インドで最も社会的に弱い村民、農民、漁民、女性や子供達で、ガンジーの教えに則り、非暴力の運動を展開している。しかし原発を推進したいインド政府は核開発を妨げるものは容赦なく弾圧。核開発を迅速に進めようとするインド政府は、安全性や透明性をおろそかにする一方で、核の供給者の社会的責任を免除しようとしている。
協定が成立すれば、インドは日本製の原発の部品を輸入し、核プログラムを推進することになる。協定はインドの核兵器保有を正当化し、南アジアでの核開発競争を加速させる可能性がある。輸入をベースとした民間の核産業ができれば、インド国内に埋まっているウランにもついに手がつけられることになる、とスンダーラームさんは懸念を表明した。
<会見後の質疑応答>
Q: 簡単に核を保有できるアメリカのような国とそうでない国(例えばイラン)があるのを見ると、核の問題の根源にあるのは、各国の軍事的な競争、国際的な力関係のように見えます。国際関係や力関係という観点から核問題を見たとき、インドから世界はどのように見えるのでしょうか?
A: 人々は、国際システム、国家間の関係において、核が貨幣のように力を持っているとはほとんど想像しません。例えあなたが現実主義者であっても、なかなかこのことは国際関係について話し合うときに直接的に議題としてテーブルに上がらないのです。核兵器を持っている国が、核兵器を持っていない国に戦争で負けるという事例も過去にあります。つまり、核兵器というのは、実際に想像されているほど大きな力を持っていないということです。核を保有しているからといって、その国が強国として国際的に優位になるというわけでもない。核兵器を保有することと強国になることをリンクして考えることは、見当違いであり、想像でしかない。しかし、それが想像だとしても現実だとしても、国際的にもインドでも、核はある種の力の貨幣として捉えられている。インドが独立した後に、インドのエリート達が最初にやりたがったことの1つは核開発でした。その時代には、核のような大きなテクノロジーに対しては国家からの絶対的なサポートがあり、大衆からも人気があった。テクノロジーがインドを先進国に押し上げると信じていたのです。インドが「先進国になる」ということに対してインドが持つ国家的かつ集合的な執着と妄想はとても強いものです。1998年にインドが核実験を行ったときにはインド国内は歓喜で沸き、人々はお祝いをしていたということも私は認めなければいけません。しかし、インドでも国際的にも、核兵器は廃絶しなければいけないと歴史の文脈の中では捉えられています。「力」というもののイメージそのものに疑問を投げかけるためにも、反核運動を成功させなければいけないのです、とスンダーラームさんは答えた。
※スンダーラームさんが主任研究員を務めるCNDP, India (Coalition of Nuclear Disarmament and Peace, INDIA) は、1998年にインドで行われた核実験の後に発足した。
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