極右政党『仏国民戦線』のマリーヌ=ルペン党首が8歳だった1976年11月1-2日の夜、ルペン邸宅がテロリストによって爆破された。ルペン暗殺を狙った爆弾テロ事件であり、自宅は木っ端みじんに大破したのだった。5人が負傷したのだが、その中にはマリーヌ=ルペンも含む3人の子どもがいた。マリーヌは辛うじて九死に一生を得たが、溺愛していた犬が無残にも殺され、悲嘆に暮れたという。
マリーヌは公立学校ではいじめられ子だった。フランスにおいてジャンマリー=ルペン「国民戦線」名誉党首は「ヒットラーの再来」「悪魔」「キワモノ」と目され、侮蔑・憎悪の対象でしかなかったがために、マリーヌは学校では「悪魔の娘」とはやし立てられ、いじめられた。教員は左派が多いために、彼女を守る者はいなかった。
(パパ・ルペンの胸にマイクをつける娘のマリーヌ=ルペン党首 撮影:及川健二)
マリーヌ=ルペンというのはとてもアンビバレントな存在だ。パパ・ルペンが移民や政敵に向ける憎悪的・排外的な表現の強さを知っている。しかし、彼女は爆弾テロの被害者であり、いじめられっ子だったがために、「憎悪」の恐ろしさを身にしみて感じているのだ。
マリーヌを取材していて一番印象的だったのは国民戦線の舞踏会での振る舞いだ。ディナータイムが終わると、同党幹部を含む参加者が踊りに興じた。マリーヌは若い男性と一緒に軽快にまくるくるくるくる踊る。見事な踊りっぷりに、隣にいた党幹部に「ずいぶん遊び人なのですねー」というニュアンスのことを呟いたら、幹部は苦笑した。党内保守からは「夜の女」と侮蔑されていたことをあとで知る。
マリーヌは離婚を2回している3児の母だ。法学部で学び、弁護士の道を進んだ。
(国民戦線がメーデーに行う祭典「ジャンルダルク祭」にて支持者と写真に収まるマリーヌ=ルペン党首 撮影:及川健二)
伝統的家族像から離れた世俗的なすがたが受けるのか、パパ・ルペンが名誉党首になり、マリーヌ=ルペンが2011年に党首に就くや、女性の支持者が増えていった。
欧州議会議員選挙で反EU派が台頭した背景は緊縮財政により失業者の増加と反移民という感情がある。とりわけ、フランスにおいては、変革を求める声に支えられ、2012年3月、17年ぶりに社会党大統領が誕生したのに、経済運営に失敗し、大統領の支持率は第五共和制史上、最低となっている。
ただ、極右政党と呼ばれる人たちが、政治手法はバージョンアップし、穏健なイメージを獲得しつつあることも忘れてはならない。
(談笑する国民戦線の幹部。右から2番目がマリーヌ。左から2番目の女性がルペン名誉党首の2番目の妻ジャニー。マリーヌの母は前妻 撮影:及川健二)
文章:及川健二(France10記者)
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