今年も12月19日がやってきた。
シャンソン歌手エディット=ピアフは1915年12月19日朝にベルヴィル通り72番で生まれた。
映画『ピアフ』が上映される前までは、フランスの若い世代では、ピアフや「愛の讃歌」を知らない人が増えていた。日本人にとってシャンソンといえば愛の讃歌・ピアフであるにもかかわらず、だ。
ピアフの父は曲芸師だった。母はいわゆる「流しの歌手」だった。幼い頃から父と放浪し、大道芸人として暮らした。エトワール(シャルル・ド・ゴール)広場近くで歌っていて、キャバレーの主人の目にとまり、ピアフ(雀の卑語)の名でデビューした。その後、ファーストネームを加えてエディット=ピアフを名乗るようになり、ミュージックホールに出演、大人気を得る。
1949年、事故死した愛人のボクサー、マルセル=セダンを偲び、『愛の讃歌』をサル・プレイエルで歌う。
彼女が天に召されたのは1963年だった。
50年前のことだ。
エディット=ピアフの生誕の日にあたり、仏歌手で現在来日中のDominiqueBBさんにお話しを伺った。伊独仏英西と日本語の6カ国語を操る彼女の父はインド人、母がパリジエンヌのフランス人だ。15歳まで滞在したジンバブエを去ってロンドンに家族とともに移住。2012年に日本に10ヶ月滞在し、今年は7月下旬に再来日した。世界各地でスペクタクルを公演している。
エディット=ピアフをこよく愛するドミニクさんに仏語でインタビューした。
◎DominiqueBBがピアフを歌う映像◎
DominiqueBBさんへのインタビュー
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