主題:片山さつき参院議員が語る仏留学のススメ(上)
副題:日本人女性で初めて、超エリート校ENAに留学
【本文】
◆1984年からフランス国立行政学院に2年間
――片山さんは1984年6月に渡仏して、何年、滞在されたのですか?
片山:ちょうど2年間です。
――当時のフランスはどんな感じでしたか?
片山:古き良きフランスが残っていましたね。当時の大統領は社会党のフランソワ=ミッテラン氏で、私が行った時は37歳で首相になったローラン=ファビウス内閣の時代で、さすがのフランスでも首相にしては若いねといわれていました。
私がENAに留学したころは、ENA出身のエリートがフランスを動かしている時代でしたね。同級生にはヴァレリー=ジスカール=デスタン元大統領の甥がいて、政治に出るよっていう人がいっぱいいて、その後実際に農相を務めたエルヴェ=ゲマール下院議員(※1)がいて、彼の妻になるクララさんも同級生でした。
私が衆院議員になって経済産業省の政務官になったら、クララ=ゲマールさんが対仏投資庁長官を務めていて、仕事で日本に来て私と彼女で公開セッションをやりました。2人で「20年経って本当に奇遇だね」と話しましたよ。
2004年5月からフランス・ガス公社の総裁を務めているジャン=フランソワ=シレリさんは私の1年先輩です。パリクラブ(※2)をフランスの財務省が仕切っているんですが、その担当課長をシレリさんが当時は務めていて、私が日本の大蔵省側の担当で彼としょっちゅう電話で話して、「そういやENA で1年違いだったね」「誰々は元気にしている? 」とよく会話しました。フランスの若いリーダーの中にENA時代の上級生・同級生・下級生はたくさんいますよ。
※1:政権与党「国民運動連合」(UMP)所属の政治家。2004年11月、44歳という若さで経済・財政・産業大臣に抜擢される。しかし、05年2月にゲマール氏が家族と暮らすパリ市内の超高級アパルトマンの家賃や改装費、駐車料金などに税金が使われているというスキャンダルが発覚し、引責辞任した。
※2:債務の返済が難しくなった国に対し、返済負担の軽減措置を取り決める非公式な債権国会合で、1956年に発足した。事務局はフランス財務省で、パリクラブと呼ばれている。恒常的に参加している国は日本を含む19カ国。
◆仕事をしながら仏語を習得
――フランス語はどのようにして習得されたのですか?
片山:東京大学時代にフランス語を学びましたが、そう一所懸命、勉強したわけではありません。大蔵省に入ったら主税局の調査課に配属され、フランス担当になったので、フランスの日刊紙「ルモンド」を読み始めました。大蔵省には官僚をフランスに国費留学させる制度があるのですが、私がフランス担当だったのでENAに留学してはどうか? という話になりました。留学が決まってから、仕事をする傍ら、家庭教師に教わったり、東京日仏学院に通ったりして、フランス語を学びました。
――何年間、勉強されたのですか?
片山:留学が決まってから始めましたので、集中的にやったのは留学前の1年間だけです。ただ、ENAの外国人クラスは入学してから2カ月、語学を徹底して教えてくれるんですよ。ただ、それでも足りなくて、フランス人と同じレベルまでには達せられなかったですね。
――フランス語をマスターする上でつまずいたことはありましたか?
片山:私は「R」の発音が上手くできないんです。これは今でもできません。
――同時通訳をなさるぐらい、フランス語はお出来になるとお伺いしました。
片山:フランスに1年いたころから通訳をするようになりました。日本の税制調査団が来た時、ずいぶん、通訳をさせられましたよ。日常会話がそんなに上手じゃなくても、使われるのはよく知っている専門用語ですから、十分、通用しました。
――これからフランス語をマスターしようと思っている人に何かアドバイスをください。
片山:昔の教科書で習うフランス語と映画「アメリ」に出てくるような今のフランス語は違うし、「TAXI」(外国人向けのフランス語の代表的な教科書)でも3巻、4巻ぐらいまでレベルが上がると、何をしゃべっているのか、私も分かりませんね。
基本的に形容詞が少ない言語だから、一度、覚えれば簡単だといえます。あとは、男性形・女性形を間違いさえしなければいいわけですよね。ただ、私は今でも、間違う時があります。それと、フランス人の名字が面倒くさいですよね。コンビネ(2つの名字が合わさった名前)もあるし、最近、移民も増えているから「これ、どう読むの?」って名前が増えてきています。
◆同級生はエリート、食事は自炊
――留学生活はどんな感じでしたか?
片山:楽しかったですよ。各国の友達と国ごとにレストランで語り合ったり、家に呼びあったりしました。外国人クラスですから、欧州からはドイツ、イギリス、オランダ、イタリア、スペインなどから、アジアからは中国、韓国、シリア、インドなどから学生が来ていました。この人たちはそれぞれの国のすごいエリートでした。
昨年、政務官として中国に出張したら、中国で外務次官の1人になっているENAの同級生とバッタリ会いました。大蔵省に務めていた頃、韓国にFTA(自由貿易協定)の交渉をするために行ったら、交渉相手の主税局長が同級生でした。インドの外務次官にも同級生がいます。みんな自分の国でそれなりのポストについています。日本は昔からですけど、発展途上国のアジア人を学生としてENAが採りだしたのは、私が留学した頃からでしたから、同級生はすごい人たちなんです。「この人脈だけでも何かやったらいいね」という話を昨年、北京でしました。
――住まいはどちらを借りていたのですか?
片山:芸術家の多いパリ12区で小さなステュディオ(1ルーム=マンション)を借りました。庶民の街ですが、移民は少なかったです。古いアパルトマンって温水暖房で部屋を暖めるでしょう? 一度、真冬にマイナス7~8度になった時に、暖房が凍って動かなくなり、えらい目に遭いましたよ。4~5時間その状態が続きました。知事官房の研修はラロッシェル(西フランスの港町)で受けました。パリで古い車を買って運転して、フランス国内を行き来しましたよ。
――食事はどうされていたのですか?
片山:忙しい時はパンにパテ(ペースト)を塗って済ませました。野菜が美味しいからちゃんと作るときもありましたよ。ポトフとか、簡単にできますね。ドレッシングをムタルド(フランスのからし)とワインビネガーとこしょうをミックスして作るっていうのを覚えましたね。鳥やウサギのワイン煮込みもつくりました。
◆観た映画は100本
――フランス映画は御覧になられましたか?
片山:100本くらい観ましたね。『大人は判ってくれない』や『終電車』が代表作のフランソワ=トリュフォー監督のファンでした。
――好きな俳優、女優はいましたか?
片山:女優は存在感でいえばカトリーヌ=ドヌーヴですね。私がフランスにいたとき、女優のジュリエット=ビノシュがデビューしたんです。ENAの同年の男の子たちと彼女のデビュー作『ゴダールのマリア』を見に行って、最初は「この子、可愛くないじゃない? 」と彼らは云っていたんですけど、見終わった後に、「すごくいい女だ」と言い出しました。彼女はその後、すごく人気を得て、今では大女優ですね。ちなみに、私と誕生日がいっしょなんですよ。
俳優ではジャン=ルイ=トランティニャンが好きです。トリュフォーが彼をよく起用しましたね。私がいた時に有名になったジェラール=ドゥパルデューも好きです。あとは、ジャン=ポール=ベルモンド。名作と呼ばれるものは一通り観ましたよ。
――ENAで苦労したことはありましたか?
片山:外国人は研修と学業でまあまあの点数をとっていればよかったので、苦労したというよりは面白かったですね。
役人として来ている外国人は自分よりランクが上の人が多かったです。日本は当時、超官僚社会でしたけど、ヨーロッパはちょうど現在の日本が迎えつつあるようにだんだん「民間にできることは民間に」という流れになり始めていた頃なので、日本の社会も将来、こうなるのだなと感じました。つまり、官僚の特権が薄れていくというわけです。
(後編に続く)
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