映画による自画像、映画による自分語り、自分や家族をテーマにすることが、現代のドキュメンタリー映画ではどんどん重要になって来ている。そういう“セルフ・ドキュメンタリー”のなかでも、『消えた画』は究極の自伝映画に見えるはずだ。語られるのはリティ・パニュ監督が13歳でクメール・ルージュ独裁に遭遇した体験。
何百万もの死者を土人形で表現
だがポル・ポト派は自分達の政治の失敗が引き起こした悲惨をもちろん映像で記録なんてしていないし(代わりに作られたのは膨大な偽りの映像であり、その一部もこの映画では見ることが出来る)、それ以前に盛んだったカンボジア映画もまた失われてしまった。ポル・ポト以前に監督が知っていたプノンペンの、ほどほどに豊かで幸福だった記憶も、その画は少年だった彼の断片的な記憶の中にしか残っていない。
その失われ、再現できない光景と、今そこに、カメラの前には立てない死者たちを、リティ・パニュはなんと土人形で表現する。何百万もの死者が埋められたカンボジアの大地の、その土で死者たちを表象させるという手法は、霊魂や自然神への信仰の伝統が今も生きているいかにもアジア的な語りだが、政治権力が偽りの映像で隠した死者達の見えない真実を、その霊魂の宿る土で見せるという戦略の意味は、ただ死者に思いをはせるためだけではない。
アジア文化では真実を語れるのは死者達
最初、『消えた画』はあたかもクメール・ルージュを被害者であるパニュ自身の立場からの、一方的批判のように展開する。その体験は無論重いものだが、さすがにこのままでは危険ではないか、ただの共産主義批判の図式に陥りかねず、こと現代の政治の文脈ではそう受け取られはしないか、と心配にすらなって来る。
日本の人形浄瑠璃もそうだが、アジア文化には真実を語れるのは死者達であり、その死者の真実が人形に託される伝統がある。例えば浄瑠璃の題材はたいがい実際の歴史的事件や当時の有名スキャンダルであり、主人公たちは死を前にした時、知られざる真相を語り出す。『消えた画』もまた死者達の人形を登場させることで、映画は13歳だった監督が自分を語るだけはなく、死者達の持つ真実に委ねられる。そしてその瞬間を、リティ・パニュは呆気ないほどシンプルな、それだけに映画全体をひっくり返すほどのパワーを持って準備している。
生きるために死のメカニズムの
部品のひとつになった
家族全員を失った生き残り、生者であるパニュの語って来たことをひっくり返すのは、家族のなかで最初に亡くなった最愛の父だ。その父が語る真実がなんなのかはここでは書かないが、観客の意表を突くその死者の語る真実が、それまで我々が見て来たことの意味を根底から揺さぶる時、パニュはただ一言こういう、「父は正しい」。アジア文化の物語において、死者は正しいのだ。
そしてその瞬間から、映画はクメール・ルージュを批判するのでなく自分の本当の体験、自分がどうその死と暴力と欺瞞と猜疑に覆われた大地を生き抜いたのかを語り出す―僕もまた、生きるために、この死のメカニズムの部品のひとつになっていた。そうでなければ生きられなかった。
死者は究極の他者
『消えた画』をセルフ・ドキュメンタリー、自分語りとみなすのはある意味間違っている。死者という究極の他者を登場させ、死者に語らせることはアジアにおけるフィクションの根本にあり、死者だからこそ語るのは真実だけだ。一見自分を語るように見えたリティ・パニュは、実は巧妙に西洋フィクション映画の作劇法を導入しつつ自身のアジア的なるDNAをそこに甦らせ、ただ被害者であった自分という自己認識を超えた、開かれた物語をここに産み出す。それはただ被害者、受け身でしかなった自分が生存者として自分を取り戻し、これから自分の生を生きていく力を取り戻すための儀式でもある。そして最後に、彼はこう言う、「この失われた画を、みなさんに差し上げよう。失われた画が今後も、みなさんとの出会いを探し続けるために」。
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